結局私たちは、真理を知らなければ、苦しみの世界で、右往左往しながら、色々な生物の輪廻を繰り返し、物質次元で放浪の生活を永遠にすると言うことなのです。


その放浪の旅を脱する為には、創造主神クリシュナから与えられた真理を知らなければなりません


1-自己の本質は魂であると言うこと。


2-魂は、自らを主体的に行動する意志であり、信念であり、精神知識であり、それは、生まれることはなく、当然死ぬこともなく、老いることもなく、病になることもないと言うこと。


3-魂は過去の業報(カルマ)によって、そのカルマに相応しい、完璧にカスタムメイドされた生体ロボッとして物質界(マーヤー)に現象していると言うこと。


4-人間と言う自律する生体ロボットは、食欲、性欲、睡眠欲、保身欲、と言った自律する為の、強い生命活動で突き進む本能を持っていると言ういこと。 


5-更に人間は魂のカルマによって、物欲、名誉欲、支配欲、に囚われた生き方をしていると言うこと。


6-魂が物質界に人間として生まれると、魂は必ず、無知、激情、徳性と言った物質自然の三様式(トリグナ)に囚われて、その質性に突き動かされしまうと言うこと。


7-しかし、魂は本来創造主神クリシュナの分霊(ママイヴァーンシャハ)であり、クリシュナと同質の純粋なる質性であると言うこと。


8-その純粋なる魂はクリシュナの光子として、物質界(マーヤー)に放たれその結果、生命体の輪廻が始まったと言うこと。


9-この物質界で、苦しみの輪廻の放浪の生活をしない為に、魂の故郷である、クリシュナのもとに帰還することが、魂の最終目的であると言うこと。


10-その為にクリシュナは、物質界を司るヴィシュヌ(クリシュナの直接拡張体)を瞑想し崇拝する、ヴィシュヌ信仰を義務づけたと言うこと。


そのヴィシュヌ信仰を深める為に、10項目の供犠(ヤグニャ)が定められているのです。


1ー神々を崇拝する事

2-宇宙原理を哲学的に学ぶ事

3-独身においては純潔を保つ事

4-家庭においては祖先の供養と子供の精神教育をする事

5-暑さ寒さや人間関係などの苦しみに耐えること事

6-感覚欲望を抑制する事

7-他者や社会に奉仕と貢献をする事

8-精神的知識を養う事

9-ヨーガの修行をする事

10-四制四住期(ヴァルナ・シュラマ)の宗教義務を果たす事


ヴィシュヌ信仰とはヤグニャそのものであり、ヤグニャの生活こそクリシュナの基に還った生活なのです。


またこのヤグニャを実践してこそ、物質界の苦しみから救われる、根本的な解決策なのです。


これら10項目の供犠(ヤグニャ)は、確かに欲望を抑制する苦しさを伴います。


欲望には、まやかしの快楽があり、その幻想から逃れるには非常につらい忍耐を要求してくるのです。


ヤグニャの意味は犠牲を捧げると言う意味であり、苦しみを我慢する忍耐を捧げると言うことです。


強い決意と忍耐を以って、そのまやかしの快楽から逃れれば、本物の魂の歓喜を味わう事ができるのです。


しかし、現実には一番大事な思春期において、精神知識をないがしろにし、純潔を軽んじる性の快感に溺れる現実は、非常に危うい精神的危機であると思います。


人間には元来、神々に対する崇拝の心を、天性として持っているのです。


その、人間にとって最も高貴な崇拝する心が、物質界で生きる為の苦闘によって、抹殺されてしまっているのが現状なのです。


魂の奥底に秘めれれた、創造主神クリシュナに対する高貴な崇拝の心は、船が港に戻る羅針盤であり、渡り鳥が故郷に帰る帰巣本能なのです。


これらは、インド哲学に書かれており神の定めた真理なのですが、それ故バガヴァット・ギーターを学ばなければ理解は不可能と言うものなのです。


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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ


これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ