これからは精神的生き方と言うものを意識して、物質次元と精神次元のバランスのとれた生き方を目指す必要があることを、書きたいと思います。
このブログ内検索で「精神的生き方」とか「精神的とは」と検索すると、それぞれ五つ程度のタイトルが出てきます。
それだけ精神的生き方と言うワードは、私のブログ全般にわたって使われている、と言うことなのです。
先ずはこの精神的とはの定義 を、しっかり定めておくことが絶対条件となります。
一般的に精神的という捉え方は、心や魂の働きを言い、意志や信念、根気や気力などの、意識的な心の働きをさしております。
また、この精神的に対する対義語として、物質的または肉体的と言う概念があります。
ここで肉体的と言うものは、単に肉体そのものを指すのではなく、肉体から発せられる欲望(食欲、性欲、物欲、名誉欲、支配欲)も肉体的と捉える事が大変重要な事なのです。
この様に、精神的と物質的(肉体的)の違いをはっきり認識する事が、精神的な生き方を目指す第一歩となります。
その次には、肉体欲望につき動かされる行動のほかに、目的意識を持った能動的な行動として、心と魂の作用による精神的な行動があることを、認識することが大事です。
当然のことながらここで、精神的生き方を目指す為には、心と魂の存在をはっきり認識していると言うことが、絶対条件となると言うことなのです。
ここで言う心とは、道徳心(仁,義、礼、知)であり倫理の心(親、義、序、別、信)であり、宗教心(十戒律、八正道、六波羅蜜)を実践すると言うことです。
この心遣いこそが、精神的生き方の原点なのです。
これら、毎日毎日の生活のあらゆる場面において、心の実践を積み重ねてこそ、その人の人格形成となっていくのです。
そしてその成果が、魂に刻み込まれその人の根性となり、その因が来世の縁をひきよせ、生まれ変わりの姿になっていくのです。
この様に精神的生き方とは、その原点は道徳、倫理、宗教なのですが、残念ながら今の家庭や学校では、これら生きて行く為の重要な教えが、ないがしろになってしまっているのが現状ではないかと、思われます。
その原因は皮肉にも、便利で豊かな社会を築いたが、更にもっともっとと発展させようとする為に、毎日が生活に追われる姿となってしまっている、からなのです。
結局、物質次元の生き方に邁進している姿勢が、精神的生き方をないがしろにする社会となって、苦しんでいるのです。
しかし、精神的知識を持ち合わせていないそれらの人々は、その苦しみの原因が自分の無智と激情の質性にあることすら、知りえないのです。
ここに、物質次元にどっぷり浸かって生きている人たちの、救いようのない現状と言うものがあるのです。
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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず
私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。
人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
バール・クリシュナ・フミオ