ぶしの昨日は「経済社会から精神世界へ」と題して記述しました。


そこでは人間は動物の本能に囚われながらも、経済社会のなかで欲望を乗り越えて、人間としての欲望を正しい方向と程度で修行してこそ、この物質次元に生きている意義がる、と言うことを書きました。


現代の日本社会は、物造りを中心とし貿易立国として経済社会を築いています。


そして物質文明を発展させた事により、物に恵まれ生活環境も衛生的で住みやすく、便利な生活を営むことが出来るようになったのです。


しかしその陰として、海外企業との競争が激化し、安い労働賃金によるコストダウンを余儀なくされ、派遣労働の恒常化と言う現象がおき、年収の激減という状態になってしまったのです。


結局、資本主義社会は競争原理がその本質であり、経済的に高度に発展しても最終的には、人間関係もぎくしゃくした、生存競争が激しい住みにくい社会となってしますのです。


経済的に生きるとは、人間の持つ欲望(食欲、性欲、物欲、名誉欲、支配欲)を満たす為に、主に頭脳と肉体を駆使する活動なのです。


一方、精神的な生き方を目指した生活とは魂的に生きることであり、先ず自己とは魂であるとの自覚から始まらなければならないのです。


それは、自己とは魂であり、意志であり信念であり、自分を主体的に捉える精神エネルギーである、と言うことの認識なのです。


この精神エネルギーをどの様に働かせるかによって その人の人間性と言うものが決まってくるのです。


欲望を満たす為にだけ行動するならば、それは動物次元の存在に留まり、逆に人間としての道徳心、倫理観、宗教心と言うものを、正しく学び実践する生き方をしていたならば、それは立派な魂としての精神的存在となるのです。


この世で、肉体を持って生きて行くには当然、経済的に自立する事は一番大事なことです。


すでに経済的に自律しているならば、その人は過剰な物質次元の欲望は捨てなければなりません。


物質的な豊かさは本物の豊かさではなく、肉体があるこの世だけの一時的で儚いものなのです。


それよりも、来世にまで影響を及ぼす、道徳心、倫理観、宗教心を養う精神的修行を、生涯かけて実践すべきなのです。


とは言え、生存競争の激しい世の中では、生きて行くことにさえ厳しい生活を余儀なくされています


人間は学校に行って、受験勉強の為の教育を受けているだけで良いのか、そんな疑問さえ起こす事が出来ないほど、今の人は精神的に貧弱な存在となってしまった、と言えるのではないのでしょうか。


江戸時代に武士は、武士道や葉隠を学び、武士は死ぬこととみたて候、武士に二言なし、武士は食わねど高楊枝、武士の一分(いちぶん)、これら命をかけても守らなければならない名誉や面目など、精神性の高い潔い生き様をしていました。


また戦争中は、特攻隊の七生報国(七たび生まれ変わり国に報いる)の、愛国精神と言うものがありました。


国の為、何が惜しまん我が命、死して護国の神と化しなん。
七生昭道 菊水特別攻撃隊・・・・行年十八歳


私たちには、先人が遺してくれた尊い精神的財産があります。


それは太古の昔から培われた日本の、肉体よりも精神性を重んじる精神的伝統なのです。


この様な、精神性を重視した生き様こそが、日本人の大和魂と言えるものなのでしょう。


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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ


これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ