今日はある方からの、「なぜ、我々は生まれますか?」と言う、素朴でありながら根本的な疑問に対して、私の考えを記述してみたいと思います。


先ず、その答えとしては、その人が自分をどの様に捉え認識しているかによって、その答えは当然違ってくるという大前提があります。


1-自分を肉体そのものであると認識している人、それを偽我識と言いますが、その偽我識に囚われている人。


2-自己の本質は、人間と言う生物体に宿る魂であると、認識している人。


この二つの、本人の捉え方にまたは認識によって、その答えも様々に違ってくると言うものです。


まず自分は、自分の肉体そのものでり、また肉体が持つ五欲(食欲、性欲、物欲、名誉欲、支配欲)で活動するのが自分と捉えるている人は、誕生と死があると意識するのです。


しかし、自己を魂の存在と認識している人にとっては、その視点を魂を自己として全てを観る事ができる為に、魂の真理から自己は永遠であり不滅であり、それゆえ「生まれることも死ぬこともない」と、その答えが出るのです。


魂にとって誕生はなく死もない、原初より在りて永遠に在り続け、肉体は朽ち滅びるとも、彼は常住し不壊不滅である<バガヴァッド・ギーター2章20節>


私たちが生きていく物質世界では生物は、「誕生、成長、留まり、繁殖、衰退、死滅」の六種の変化をするのです。


つまりこの物質次元では、全てが「諸行無常」というお釈迦さまが説いた真理がある、と言うわけなのです。


私たちは、肉体が自分であると思っている為に、「生、老、病、死」などに苦しんでいるますが、それは自己の本質が魂である事を、認識できないからなのです。


魂の真理は、「不生、不死、不老、不病、永遠不滅」であり、その本質は「意識であり、信念であり、自己を主体的に行動さる行為者」なのです。


つまり、自己を魂であると確信している人には、誕生とか死と言うものは存在しない、と言うものです


そこで今度は魂と肉体の区別を認識したうえで、人間が生まれると言う事はどういう事かを考える必要があるのです。


それは魂が、人間と言う肉体の服を着ると、人間と言う生物としての活動が始まると言うことなのです。


この生物体は食物と生活環境さえ整えば、自律的な思考を持って行動する、動物界では最高の能力を持った生き物なのです。


この様に、魂の修行に最適な人間という生物体に魂が宿ったと言うことが、人間として生まれたと解釈できるのです。


しかし人間として生れても、その行動を余儀なくされる、または突き動かされる動機の根本が、トリグナ でありカルマ(諸業)なのです。


人間は前世のカルマ(諸業)によって、人間と言う魂の修行にとって貴重な生物に生まれ変わることができ、また人間に生まれたら生まれたで、今度はその人の魂のトリグナ よってその行動は突き動かされるのです。


つまり人間として生まれると言うことは、魂のカルマ(諸業)によって人間の肉体に入ることができた、と言う事であり、当然のことであるが魂のトリグナ も、生まれながらに持って生まれてくる、と言うことなのです。


そして前世の修行の続きを、今持っている人間としての身体を最大限駆使すべきであると、気付かなければならないのです。


これが先ずは、今回の質問の「なぜ、我々は生まれますか?」の回答になと思います。


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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ


これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ