今日は、昨日の宗教の捉え方をまとめてみたいと思います。
宗教に関して色々な視点から論じてきましたが、
それをまとめてみますと、次のようになります。
1-宗教の定義を、神の教えとか崇高な人の教えを教理
としそれを信仰する、と言うこととする。
2-どんな教理も信仰する人にとっては、その人なりの
最高の教えとなっている。
3-各宗教の教理の是非を論議する事は、争の元であり
ナンセンスな事である。
4-その教理がどんなものであっても、信仰することにおいて、
その人にとっては最高の宗教であり、無宗教も確信を
持っての信仰であれば、それも立派な宗教心となる。
5-宗教を学ぶにあたっては、集団を求めるか、
独学を目指すのか、二つの道がある。
6-集団の宗教には自由の束縛があり、独学は独善や偏狭
に落ちる危険性を持っている。
7-宗教は、人生の生き方を問うような人、また生き方に
目覚めた人が、自らが自発的に求める道であり、
人から教えを受けての宗教は、知識としての学びの
段階にとどまる。
8-宗教は、人生経験を深く積まずに教理に入り込んで
しまうと、現実にこの世で生活をしていく事に、大きな
支障をきたしてしまう恐れがある。
9-宗教の最終目的が、創造主神クリシュナへの崇拝帰依と、
クリシュナの郷への帰郷であることを知らなければ、
その宗教は真理の部分か途中か幻想に他ならない。
ここで一番重要な事は、第9項目の宗教を学ぶ究極の目的、
これを知らずして宗教を求めても、その結末は、真理の部分に
留まるか、途中の段階か、幻想の世界に迷い込んでいるかの、
いずれの結末になると言うことなのです。
人間の生き方には、聖なる生き方と、聖あらざる生き方があります。
聖なる生き方はヴェーダの経典に沿っての生き方であり、
その聖なる生き方をしていても、物質的な繁栄や享楽を求める
人と、物質的必要性は生きていく為のだけに留める人の、
二つの生き方があります。
更には、聖なる生き方において物質的欲望から完全に解脱を
目指す人もいます。
しかし、しかしいずれの生き方を求めても、創造主神クリシュナ
の住む、精神惑星の最高峰ゴーローカ・ヴェリンダーヴァンを
目指す為の、インド哲学バガヴァッド・ギーターに到達しなければ、
宗教を学ぶほんとの意味はないのです。
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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず
私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。
人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
バール・クリシュナ・フミオ