私たちは普通、人間(にんげん)と言いますが、哲学的には(じんかん)と言うのです。


それは、人間とは動物としての人間と、魂としての精神的人間の間に存在すると言うことからなのです。


私達は肉体的欲望(食欲、性欲、物欲)にだけ生きている、動物的次元という段階から、最高神に絶対なる信仰を持つ精神的に完成された人間となるまでの、修行(ヨーガ)という過程があるのです



この認識のありかたが、人間としての認識の一番のカギとなるのです。


つまり、自分を魂の存在であると断言できなければ、まだまだ本格的な人間の修行過程の入り口にも到達していない、と言うことなのです。

しかし人間は一度に一気には、最高神への信仰を持つ精神的悟りに到れないのです。


その悟りへの第一のプロセスとして、先ず私たちは、生命を維持する為に与えられた食物や光や水などを無償で供給してくれる大自然の、究極的な慈悲の存在から神のありがたさを知る、これをアンナ・マヤと言います。


次には、自分の身体や心をふくむ感覚器すべてを使って、物質界の真理を悟る修行を、プラーナ・マヤと言います。


その次の段階は、精神的知識を学び肉体と魂は別であると悟る段階を、ギャーナ・マヤと言い。更にその次の悟りの段階を、今度は魂自体についての詳しい知識を悟る段階を、ヴィギャーナ・マヤと言います。


そして最期の悟りの究極は、自分自身のなかに最高神の拡張体である、パラマートマーの存在を知り、常に最高神と共に生きる歓びを悟るアーナンダ・マヤと言う、最高の境地に到ることなのです。


この、最高神との歓びを悟るアーナンダ・マヤに到ってこそ、ヨーガ(修行)の最終目的なのです。


ヨーガとは、最高の悟りへ至る修行のプロセスをヨーガと言い、決して美容やシェイプアップ、健康維持を目的としての、インド体操ではないのです。

ヨーガの始発は、肉体を維持してくれる大自然の恵みの悟りであり、身体と感覚器を使っての悟り、身体から知識の悟り、知識から魂の悟り、最終的には最高神への信仰に到って、悟りの完成となるのです。


逆を言うなれば、最高神(クリシュナ)は私たちの修行為に、色々な形で真理を示してくれているのです。


つま、その人の悟る力に応じて、その人が悟れる分かりやすい形となって、また存在として、自分の姿を自由に変え真理を示しているのです。


ヨーガの修行、つまり悟りのプロセスには、そんな最高神の深い、深い慈悲が込められている、と言うわけです。


これは科学的インド哲学バガヴァッド・ギーターを学ぶことでしか、理解できない真理なのです。


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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ


これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ