この世の人を、究極的にある視点から二つに分けると「聖なる人と聖あらざる人」に分類することができます。


しかしこの「聖なる人と聖あらざる人」の区別の視点は、道徳や倫理レベルにおいての視点と、宗教レベルにおける視点、更には哲学レベルにおける視点といった、カテゴリー別の視点がそれぞれあるのです。


道徳や倫理はこの世で正しく成功する為に必要な、心の持ち方や行動のあり方の基準であり、先ずはこの段階で「聖なる人と聖あらざる人」を判断する必要があります。


その道徳と倫理の判断基準が、道徳の仁、義、礼、智、と倫理の親、義、別、序、信、であり、いわゆる中国の「四の五の」と言われる四書五経の教えです。


この道徳と倫理を身につけて、そしてそれを実践しながらこの厳しい現実社会を生きている人が、先ずは道徳倫理における聖なる人と言えるのです。


そして、次の宗教レベルにおいては、この世で生きていくのに必要な道徳倫理をこえて、自己の魂に目覚め、過世、現世、来世の三世の輪廻観をもち、人間としてやってはならない十の戒律をしっかり実行しているかどうかを、その視点とするのです。


この十の戒律を常に、身において守り、言葉において守り、心において守って、人生を生き抜いて来たかどうかが「聖なる人と聖あらざる人」の区別の視点となるのです。


そして最後の哲学レベルにおける区別の視点、それはクリシュナに崇拝帰依しその教えに服従し、更に今この時点において没頭している、ただこの一点に終極されるのです。


言うなれば、この哲学レベルの本物の聖なる人となる為に道徳の学があり、倫理の実践があり、宗教教理の実行があり、そして最後のクリシュナに崇拝帰依しクリシュナの教えに服従没頭の境地があるのです。


当然その道程は、何十万回何百万回の輪廻に輪廻を重ねた、生まれ変わりの果てにたどりつく、永~い永~い道のりなのです。


しかし、どんなに永い道のりを歩んでも、完全なる精神指導者の指導を受けなければ、絶対にこの完成したクリシュナへのスウィートロードを歩むことは出来ないのです。


独学では無理なのですそれは、我々を苦しみから救ってくれるクリシュナの慈悲と、精神的歓喜を与えてくれるクリシュナの恩恵がそこになければ、それは不可能というものなのです。


だからこそインド哲学バガヴァッド・ギーター完全なる精神指導者から学ぶべきなのです。



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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ


これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ