今日も昨日につづき、Mさんからのメールの残りのことがら肉体と魂の喜びの違い」についてお話しいたします。


Mさんからのメールの内容。


お忙しいお時間を使って頂き、ご講義どうもありがとうございました。

昨日も盛りだくさんの内容でしたが、意識、信念、精神知識を魂に刻み込む事。(刻まれているのは受動的)と肉体と魂の喜びの違いが解りました。

この違いはどうしたら解るのか考えていましたが、先生が教えて下さった 肉体の喜びは悲しみ、苦を共にする、という目安はシンプルでハッキリと理解できました。

そしてもう一つ「人は生きて来た様にしか死ねない」というお言葉も心に刻み付けておきます。

肉体と魂の喜びの違について。

肉体には目、耳、鼻、舌、皮膚、の五つ感覚器がありますが、この感覚器には必ず多かれ少なかれの快楽があるのです。

この快楽を求めると、そこには習慣性と進行性があり、その結末は結局苦しみに変わるという、物質次元における肉体快楽の掟があるのです。

その快楽の顕著なものは、グルメとセックスであり、それは粘膜という一番敏感な感覚器を刺激する為で、その為快楽も強烈になると言うものです。

いったんその世界に執着してしまうと、無意識的にその快楽を求めようと、行動を積み重ねてしまうのです。

当然その追求の果ては、肉体的には生活習慣病になったり、性格的には社会道徳を乱す妄想をおこしたり、人間としては堕落の道に落ちていってしまうのです。

しかし、精神的な魂の歓びと言うものは、それ自体が永遠の真理に触れる歓びであり、肉体とは全く隔絶した精神知識のふれあいなのです。

したがって、この精神知識を持っている人でなければ、この様な高尚な精神的歓喜を味わう事は出来ないのです。

と言ってもこの精神知識の根本は、謙虚、寛容、忍耐、素直、向上、と言った質性を意味するもので、決して知識の有無を言うのではない、と言うことです。

要するに、その人の性格や人間性を問題にするのです。

そして、肉体的悦びは物質次元であり、魂の歓びは精神次元と言うことになり、ここでも物質次元よりも精神次元のほうが精神性が高といえるのです。

肉体的悦びは誰でも簡単に味わうことができる俗的な悦ですが、精神的歓びは誰でもと言うわけにはいかない高尚な歓なのです。

また、よろこびの漢字も、肉体のよろこびは「悦び」の字を使い、魂のよろこびには「歓び」の漢字を使うのです。

その違いは、「肉体のよろこびなのか魂のよろこびなのかの違い」を表しているのです。

魂の歓びはそのまま死後の世界に通じるものであり、言うなれば肉体を持ちながらすでに、死後の世界を味わっている、と言う事になるのです。

逆に肉体の快楽におぼれ、更にその快楽を追及している者は、肉体に周りに次に生まれ変わる想念が形成され、次の生まれ変わりはその根性にふさわしい動物に生まれ変わるのです。
 
バール・クリシュナ・フミオのブログ-生まれ変わり2
物質界にいる生命体は、風が芳香を運ぶように各々さまざまな生命観念を次の体に運ぶ、この様に生命体は様々な種類の体を転々と旅をするのである<バガヴァッド・ギーター15章8節>

ここで大事なことは、生きながらにして精神的世界を知る事であり、更精神的歓喜を楽しことなのです。

それは、その世界そのものがそのまま、死後の世界を生きている」、と言うことであるからなのです。

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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ


これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ