同志のMさんから次のようなメールがきましたので、今日は中庸について書きたいと思います。

先生との講義のメモをまとめていて、中庸についてのご説明がありました。
とても大事な言葉なのに、「欲に対して中庸であれ」と「無執着」という
事しかノートを取っていませんでした。
明日の授業では中庸について、補足の説明を頂ければと思います。

先ず人間は、「あるものに突き動かされて生きている」、と言うことを理解して下い。

いや私は「自分で思慮深く理性的に自主的に行動しています」と言うかもしれません。

しかし、その思慮や行動も結局は、グナ(無知、激情、徳性)の肉体から発せられたもであり、その人の本質が無知の状態であれば、想うこと考えることはすべて、暗愚であり怠惰であり妄想の想しかできないのです。

また激情の状態におかれた人はその起こす想いはすべて、果報的であり、果敢的であり、奮闘することを想のです。

徳性の人は、その思うことが知的であり、穏やかであり、誠実で自制的な思考行動を起こすのです。

つまり人間の魂は、魂が宿っている肉体の性質である、自然の三様式によって、振り回されていると言うことなのです。

たとえ自分では冷静に判断を下していても、その判断自体がすでに無知、激情、徳性の様式からは逃れられない言うことなのです。

従って、まずは自分どの様式に一番影響を受けているかを、自己判断する必要があります。

それにこの世の中は、幸福不幸、金持ち貧乏、名誉不名誉、暑い寒い、綺麗醜い、その他全て二元対立、二極相対と言った、対立的概念の中で生きていくよう余儀なくされているのです

この両極端の意識が、不幸の悲壮感や、喜びの有頂天の意識、となってしますのです。

しかし、この二つの極端の本質は結局は不幸なのです。

例え幸福と思い、有頂天となっていても、それが永遠に保証される事はなく、その奥底では常に不安を抱えているはずです

それに、快楽と思える事を維持する為には、常に競争しなければならず、非常な努力をしなければならない苦労が付きまとうのです。

これが物資次元の二極相対における、絶対的に超える事が出来ない、物質次元の罠なのです。

文明社会が物質的にも利便的にも発展すればするほど、便利で快適になるけれども、非常に住みづらい世の中になってしまうのです。

この社会の状況も、個人レベルでの生活の状況も、本質的には同じなのです。

従ってそこで大事なことは、物質文明は人間が生きていくために、最低限度の物質環境に留めておく事が必要であり、それが欲望の赴くままに放置されれば、それは激情の世界であり、当然激しく苦しみの世界に突き動かされていくのです。

発明は必要の母でありますが、しかし今は、発明は必要の母となり下がってしまいました。

豊かな暮らしを求めて造ってきた原子力発電所は、人が生きていくための最低条件すら許してくれない、過酷な生活環境を創ってくれました。

これ自体が既に、今の物質文明社会の限界を示しており、文明社会の行き過ぎによる矛盾が原発事故に代表するように、各所に出てしまっております。

この物質次元の罠から逃れる処方箋としては、足るを知る「知足」であり、物事の行き過ぎを抑える「中庸」がカギとなるのです。

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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ


これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ