昨日、同志のMさんから、12月17日のブログで「哲学的視点から認知症を考える」を書きましたが、それについてメールが来ましたのでご紹介いたします。

認知症についてのブログは、魂と肉体の関係がとても解りやすく説明されていますね。 
両親にも読んで貰いたいと思いました。
人間の魂はほんの些細な気づきで大きく成長する様に思えますが、正しいでしょうか?

と、この様なご感想を頂きました。


「御両親さんにも読んでいただきたい」とありましたが、御両親さんもそうですが、これはすべての人々に、子供の時かこの様な、人間のメカニズムの原点を、知ってもらいたいものです。


車でも免許証を取るためには、運転技術だけでなく、車の大まかな構造の学科試験があるのと同じで、人間が肉体と言う乗り物に乗って人生を生きていくには、その肉体の物質的と精神的な両方のメカニズムの関連性を十分知る必要があるのです。


しかし実際には、ほとんどの人はそんな肉体のメカニズムには全く興味もなく、こんなに重要な事でありながらも、知ろうともしません


いや、知ろうともしないよりも、気付きすらしていないのが現実です。


その為それらの人は、肉体の主人公またはオーナーが魂であることすら認識してないのです

バール・クリシュナ・フミオのブログ
<人間を五頭立ての馬車に例えますと、五頭の馬はそれぞれ、眼、耳、鼻、舌、皮膚を表し、は手綱であり、知性は御者を意味し、そしてが馬車のオーナーに例えられます>


ただ五感眼、耳、鼻、舌、皮膚)から刺激を受け、その刺激でに想いを抱き、肉体から引き起こされる欲望に突き動かされて生活しているのが、人間生活の実態なのです。


主人公としての魂が、馬車を操る肉体の司令塔である頭脳に、魂としてやるべき責務、いわゆる人間としてどう生きるべきか、生きる目的は何か、その為には何をなすべきか、と言った生き方の根源的なる指示を、司令塔に全く指示していないのです。


ほんらい肉体の五感感覚器、心、頭脳は、魂がその目的を達成する為に、駆使する道具なのです。


しかしその駆使すべき道具は、一応自律した生体ロボットであるため、自分で生命を維持する為には、自分で思考し行動して、命をつなぐだけの自律行動は魂が無くてもできるように、精密に作られているのです。


しかしこの精密に作られた生体ロボットも、年数がたてばそれぞれの器官の機能は衰退します。


その衰退の最も激しい所が頭脳なので、その頭脳の認識力が低下して、認知症となってしますのです。


しかし、魂が自己の本質であると考える人は、先日のブログにも書きました。


<普段から肉体と魂は別であるとと言った認識を持っていれば、決して認知症にはならないのです。魂が主体となって生きている人は、肉体の機能を魂が精神修行の為に使っており、その魂のエネルギーは頭脳をコントロールする力を働かせているからなのです。


要は、この部分が一番重要なのです。


この、ちょっとした魂としての気づきが、一生の生き方を左右するほどの重要なポイントなのです。


Mさんも気付かれました。


正しいでしょうか?なんて言う、そんな程度のものではないのです。


人間の本質は魂であると気づくことが、間として生きる第一歩である、それほど重要な認識なのです。


しかし、ほとんどの人は、自分が魂であると認識せずに、一生を終えているのです。


つまりほとんどの人は、生体ロボットに閉じ込められ、自律した生体ロボットに好き勝手に動きまわされ、翻弄させられて、生体ロボットの一生に付き合っている、と言うことなのです。


れらは神の科学であり真理なのですが、はやはりバガヴァット・ギーターを学ばなければ理解は不可能なのです


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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ


これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ