今日は、既に家庭問題となっている認知症を、哲学的視点から分析考察をしてみたいと思います。
認知症は読んで字のごとく、認識能力の衰えであり、認識のあいまさや認識の誤認などとなってくる。
先日、認知症の方々が利用するケアー施設に慰問に行った時、そこでは普通のお年寄りの方がおられる施設のように思うほど、一見したら認知症とは感じられなかったのです。
認知症はその日その日によって症状も出てきたり、治ってきたりの繰り返しで、どんどん進行していくようです。
以前にも書きましたが、人間を分析しますと、五感の感覚器(目、耳、鼻、舌、皮膚)と、物事を認識したり、記憶したり、判断したりする頭脳があり、そしてこれらの刺激を受けていろいろ想う心の機能があります。
認知症はあくまでも頭脳の機能低下であり、それは五感の感覚器や心の衰えはあっても、生活するには支障はあまり出てきません。
実際に私は、施設の職員さんから「ここにおられるのは認知症の方々ですよ」と言われて、初めて認知症の方達なのかと思ったくらいでした。
この時、いも煮会を開催されていましたが、料理はすべて入所している人たちが作られたとの事でした。
また一人の御老人と話をしましたら、その方は自分は今38歳といっておられましたが、その時私は、この人は自分の一番美しかった時に今いるのだなと思ったのです。
ここで非常に重要なことは、肉体とは全く別の存在として魂があると言うことです。
そしてこの魂は、全く老いることはなく、さらに死ぬこともないと言うことです。
しかし、自分を肉体と同一視して生きてきた人ほど、肉体の衰えが自己の本質である魂の衰えとなってしますのです。
この段階になりますと既に、魂の迷妄であり死後の世界をさまよっているのと同じ状態となっているのです。
確かに肉体は普通の人間と同じく機能しておりますが、肉体の司令塔である頭脳の働きが弱くなっているので、心の認識も身体のコントロールも異常をきたす事になるのです。
これは普段から肉体と魂は別であるとと言った認識を持っていれば、決して認知症にはならないのです。
魂が主体となって生きている人は、肉体の機能を魂が精神修行の為に使っており、その魂のエネルギーは頭脳をコントロールする力を働かせているからなのです。
しかしほとんどの人はそんな意識はなく、肉体が主体となっての生活をしてきている為、肉体の衰えがイコールその人の本質である魂の迷妄となるのです。
この認知症は若い時から精神的知識を学び、魂としての自己の存在を確信して、魂が主体となった精神的活動をしていれば、認知症は絶対に起きないのです。
これはインド哲学バガヴァッド・ギーターを学べば、それは常識となるのです。
れらは神の科学であり真理なのですが、はやはりバガヴァット・ギーターを学ばなければ理解は不可能なのです。
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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず
私はその人の、自主自立、独立自尊を尊重します。
人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
バール・クリシュナ・フミオ