人生の行き詰りを迎えた30歳の頃、私はブッダの説いた「人間の最上の幸福とは」
の詩に感銘を受けました。
その初頭では、次のように説かれています。
愚かなる者に、親しみ近づかぬがよい、賢き人に近づき 親しむがよい、
また使うるに値するものに使うるがよい、これが人間最上の幸わせである。
よき環境に住まうがよい、常に功徳を積まんことを思うがよい、
また自ら正しき誓いをたつるがよい、これが人間最上の幸わせである。
広く学び、技術か芸術を身に付けるはよく、規律ある生活を習うはよく、
よき言葉になじむはよい、これが人間最上の幸わせである。
その他に諺として、「芸は身を助ける」などもあり、昔から芸事も人間が生きていく上での、大事な処世術であったのです。
事実私は、わずかな年金生活者ですが、芸での収入によって何とか人並みに生活ができるようになっておりす。
それに生活の為の収入の面だけでなく、先ずは自分自身の生きがいの為であり、他者に奉仕と社会に貢献の側面も持っています。
そして最も重要な事は、芸術の練磨は自己完成の一助としての位置づけなのです。
それから、私はよく夢をみます。
夢の中では非常にリアルに空中を飛び回ったり、水中を泳ぎまわったり、奇想天外な描写が出てきます。
しかしどんな夢でも、繊細な描写は絶対に出てこないのです。
と言うよりも想念の世界は、手先で器用にものを作ったり、楽器演奏の微妙な指使いなど、それらの繊細さは表現できないのです。
と言う事は、技術や芸術から得られる微妙で繊細な意識は、物を作ったり、絵や字を描いたり、音楽を奏でたりする物質次元ならでの、手先の技術や芸術の世界でしか、心での情緒は味わえないと言う事なのです。
この細やかな表現作業をすることにより、そこで湧き起こされた情感を心の領域まで染み込ますのが、技術と芸術の真価なのです。
決してその技を以って、名誉を得る為とか金銭欲のためにとかに使っては、その目的の誤用となってしまうのです。
もちろんそれが生活維持の為には当然な活動ですが、その活動目的はあくまでも、他者に対する貢献と社会への奉仕、そして自己完成の手段となっていなければならないのです。
この芸術を磨きあげる過程とその行使の結果が最終的に、自分の精神的資質を向上させ、自己完結に結びつくものでなければならないのです。
それは、そこで培われた情緒こそが、至上主神クリシュナに仕える、細やかな愛情表現となるからなのです。
これらは神の科学であり真理なのですが、はやはりバガヴァット・ギーターを学ばなければ理解は不可能なのです。
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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず
私はその人の、自主自立、独立自尊を尊重します。
人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
バール・クリシュナ・フミオ