精神哲学を学ぶ同志からの質問がありましたのでそれにお答えしたいと思います。
ギリシャ神話、日本神話等を読むと神様にも良い神様、悪い神様が居るという様に思えます。
良い神様は悪い神様に簡単に殺されたり、自分の身を犠牲にしていますがこれもこの「必然的」と「因縁的」による話なのでしょうか?
キリスト教の説く、「天国」とどうも違う様に思えますが。
インド哲学では「天国」とはどういう状態なのか、これから勉強が進むのが楽しみです。
先ずは、インド哲学を学ぶと言う事はどうゆう事かを知る必要があります。
人間が精神的成長をする事は、物質次元の肉体動物として欲望に赴くままに生きる精神状態から、自己の本質は魂であり、魂は意志や信念と言った確固たる自覚そのものが、自己であると認識できるまでを自己の精神的成長と言うのです。
その成長のカテゴリーとしては、躾、道徳、倫理、宗教、哲学、と五段階があります。
その一つ一つを身につけて、哲学の段階まで上り詰める精神的修行をがヨーガと言うのです。
家庭の躾からはじまり、学校教育での集団における道徳を身につけ、家庭生活を営みながら社会で人間としての生き方の倫理をまなび、さらには物質次元を超えて過去、現在、未来の時間を超越した魂の存在に気づく宗教の段階を経て、永遠の真理を学ぶ哲学の域に達するのです。
ここで大事なことは、哲学を学ぼうとする人は、宗教のその宗派の教えを全て放棄して来なければ、哲学の道には入れないと言う事です。
哲学においては、その宗派の独自の教えは、哲学の学びには障害となるからなのです。
また神の概念も、創造主神クリシュナおよびクリシュナの直接的拡張体(ヴィシュヌ)以外の全て、一般的に神と言われる存在は、神々(ディーヴァ)であり、クリシュナに仕える精神的存在でなのです。
この宇宙の最高神であるブラフマーでさえそれは、ヴィシュヌから生まれたひとつの神であり、その他の神々のまとめ役がインドラ神なのです。
そしてそのインドラのもとに数え切れない神々は、人間がこの物質次元で精神的修行をするために、自然の天候や物質の恵みを与えたり、管理する役目を担っている人間の御利益神様なのです。
哲学を学ぶことは、これら神々の体系を理解し、私たちの魂が創造主神クリシュナとどう関わっているか、また私たちの精神的修行を手助ける為の神々の存在は、クリシュナとどんな立場に置かれているか、この様な大局的観点が大事なのです。
しかし、宗教の教義中に入るとこの大局的観点が閉ざされ、部分の微視的な理解となり、部分的には確かに間違いはないが、大局的観点からするととんでもない認識となってしまう恐ろしさがあるのです。
ちょうど盲目の集団が、像をそれぞれの部位を触りながら、その感触で像の実態をそれぞれに主張し合っているのに例えられます。
確かにそれぞれの部分の実態は正確に言い当てているけれども、像の正しい姿からすれば全く見当外れの答えを主張することになるのです。
そこに、宗教の宗派の限界があるのです。
これらは神の科学であり真理なのですが、はやはりバガヴァット・ギーターを学ばなければ理解は不可能なのです。
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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず
私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。
人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
バール・クリシュナ・フミオ