今日はスカイプ仲間から、次のような質問メールがきました。
バール先生、おはようございます。
昨日も先生の貴重なお時間を頂き、スカイプでの講義をありがとうございました。
長い間疑問だった事を、簡単な言葉で教えて頂けて感謝しております。
基本のあり方を教わりましたので、後は自分がいかに実践していくかですね。
私自身が悪い奴らのテロや地震で死ぬ事は恐れていません。 先生がおっしゃった様に「地球での勉強が終わり、創造主の所に戻るんだ」と思うからです。
家族や友人達がそういう恐怖にさらされ、またテロによって殺されてしまった場合はどういう感情でそれを押さえたら良いのでしょう。
これも「無視」ですか?
こういう話を次の講義で教えて頂ければ幸いです。
先生と知り合えて本当に感謝しております。
まず、人生いきていく間にはいろいろな事が起きます。
当然それに対する、喜怒哀楽や憎しみ悲しみの感情は誰にでも起きるものです。
しかし、インド哲学バガヴァッド・ギーターを修得すれば、周りで起きる事象を客観的に、その起こる事態を、因縁によってとか、必然性によって起きるものとして諦めることができるのです。
この諦める事によって、その感情が心の表面だけに留まることになり、深く魂までも傷つけたり、理性を失ったりすることがなくなるのです。
この諦めると言う事は、事態の発生原因を、因縁的なものなのか必然的なものなのかを、明らかにすることが、諦めなのです。
つまり諦めは、その原因を明らかにすると言う事なのです。
また無視は、それらの事起こす連中や政治的な背景などには関わらないと言う事においての無視と言う事なのです。
インド哲学を学ぶ者としては、政治経済やその他の社会的動きなど時事に対する学びは、絶対に必要なのです。
しかし、それに対して社会的な行動を起こす事は、自己の精神的鍛錬においては全く必要のないことです。
哲学を学ぶ姿勢としては、常に自己の肉体の浄化と精神哲学の修養以外は、魂の発展に寄与しないと言う事なのです。
この精神的知識の修養(インド哲学を学ぶ)と肉体の浄化(正しい生活習慣)を身につけることを例えると、それは海の深さに例えられます。
海が深ければ、大荒しに見舞われても海底は静かなものです。
しかし、海が浅ければ、大荒しに見舞われれば海底は砂が舞いあがり、海底も激しく波にかき乱されてしまいます。
要するに、精神的知識をもたない人は、外界の事象に心だけでなく魂までも乱されて、時には理性までも乱されてしまう危険を持つと言う事なのです。
つまり、精神的知識の修得と肉体の浄化は悟りの原点であり、これを成した人はこの物質界で起こる事象の全てを、なぜ起きるのかどうしてこうなるのか、感情に乱されること無く、あるがままに平然と見据える落ち着いた態度をとることができる、と言う事になるのです。
これらは神の科学であり真理なのですが、はやはりバガヴァット・ギーターを学ばなければ理解は不可能なのです よ。
スカイプでバガヴァット・ギーターの無料指導を致します。
我こそはと思う方は、お気軽にコールしてください。
覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず
私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。
人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
バール・クリシュナ・フミオ