初冬になると子供のころは、椎の実やドングリなどを拾いに、山へ遊びに行ったものでした。


当然、大きな木の下には沢山の実が落ちているので、山の中を歩き回わるのです。


この大きな木は物質文明の発達した現代社会に例え、またドングリや椎の実は、一生懸命この世を生きている人々に例えられます。


いわゆる、種子は来世を輪廻する人間と言う事なのです。


しかしここにもう一つ、木々として大事な葉っぱの存在があります。


当然のことですが木は、大きくなればなるほど、枝の迷路はどんどん広がって行きます、そしてその広がった最先端に葉っぱは付くのです。


最先端についた沢山の葉っぱは、落葉して腐敗し土となり、その後は木の栄養分となっていきます。


この葉っぱの存在は、ちょうど人間の生きる使命をわすれ、ゲーム機やアニメのバーチャル世界、そして笑い受けを狙った娯楽テレビや娯楽映画、さらには投資と言ったギャンブルに朝から晩まで、どっぷりと浸かった生活を送っているような人達です。

つまり精神的世界には全く関知せず、道徳や倫理と言う事にも無関心で、人間性を失った人たちです


哲学的な観点から言うなれば、精神性をもった人間ではなく、本能で生きている動物のそんざいである、と言う事なのです。


わずかでも、道徳心、倫理観、宗教心などを持って、この世を修行として生きている人は、種子や果実のように、再び生まれ替わる種となる事ができるのです。


しかし、人間性をわすれ本能や動物次元の欲望に生きている人は、来世はとうぜん動物次元に生まれ落ちるわけです。


この木々が大きいと言う事は、文明社会の大きさを意味しており、当然に文明社会が発展すればするほど、その文明の魅力にとりつかれ翻弄されて人間性を失い、その生き方が葉っぱとなってしまう人々も、多くなる危険をはらんでいるのです。


昔は、人々の交流や物資の交易もなく、地域にとざされ一次産業が主体の時代でした。


それだけに、人口もほぼ一定の状態が長く続いた歴史できたのです。


言うなれば、物質文明のがまだ発達していない、小さな木の状態であった言う事なのです。


文明が発展することは、人間にとっては人間の持つ知的能力の発展の結果であり、それは素晴らしいことなのです。


そして、その便利さは快適で楽しい生活もさせてくれます。


しかしその使い方の限度や、利用目的次第によっては、生活していく事だけでも大変な、借金生活にもなりかねません。


そうなってしまえば益々、精神的生活をすることなど程遠い、境遇となってしまいます。


大きな木は沢山の果実や種子を付けますが、それど同時に輪廻しない葉っぱも作っているのです。

それが、現代の物資文明社会の危険な落とし穴なのです。


れらは神の科学であり真理なのですが、はやはりバガヴァット・ギーターを学ばなければ理解は不可能なのです よ。


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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ


これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ