自由と言う言葉は一見、素晴らし言葉であり、好きな事を自由にできるとか、苦しいものから解放され自由になる、と言った好いイメージがります。
人は都合よく、また自分の好きな方向に、勝手に解釈してしまうものです。
特に躾の教えをしなければならない子供の時や、集団で学ぶ学生の時に、自由の勝手解釈をしたならば、人間にとってこれほど不幸なことはないでしょう。
この自由の本当の意味は、欲望の自由行使ではなく、その欲望から解き離れた自由なのです。
好きな事を自由勝手、気ままにすると言う事は、単に欲望の奴隷になっていると言う事なのです。
一言で言うなれば自由とは、「欲望からの自由」でなければならないのです。
人間の修行は苦行であり、本能欲望の抑制がその原点です。
この本能的欲望は、食べる食欲、性の快楽、お酒、グルメ、ギャンブル、怠惰などの快感欲、などがあります。
これらが人間の動物的欲望の根源です。
しかし人間は、創造主神クリシュナから崇拝帰依の証として、供犠(ヤグニャ)を課せられているのです。
この供犠(ヤグニャ)とは、信仰者の欲望を我慢して、その人の楽しみや快楽を犠牲にするという意味があるのです。
この苦しい想いが、神に対する供犠(ヤグニャ)であり、この供犠(ヤグニャ)の修行なくしては、絶対に神の基には還れないように、創造主神クリシュナが人間に定めているのです。
この定めは厳格なるものであり、供犠(ヤグニャ)なくしては人間の精神的発展は絶対にあり得ないのです。
そんな、人間の精神的向上における絶対条件が、安易にも自由の誤認によって全く無視されているのです。
自由気ままに暮らす事が、あたかも人間の基本的権利と言う傲慢によって行使されているのは、非常に悲しい事態です。
これらは神の科学であり真理なのですが、はやはりバガヴァット・ギーターを学ばなければ理解は不可能なのです よ。
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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず
私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。
人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
バール・クリシュナ・フミオ