私たちが生きていく間には色々な災厄があります。
それが、自然災害であったり、生活をしていくために起きうる、生存競争でのトラブルであったりするのです。
昨日のブログで書きましたが、苦しみのあり方として、自分を中心に観て、自然界から来る苦しみ、自分以外の他者から受ける苦しみ、そして自分自身の中から起こる苦悩があります。
この様に、人生においては何もしないでも、地震や台風、それに人間関係など、向こうから苦しみや最悪の事態などが、起きてしまうこともあるのです。
また自分に起きなくても、色々と悲惨な場面に接する事もあるはずです。
そんな最悪の場面でさえ最善のものを、みいださなければなりません。
それこそが、精神知識を備える意義がそこにあるのです。
毒の中に不老長寿の秘薬を、廃棄物の中に宝を、貧困家庭の中に賢き母の姿を、卑しき人からも清き人の心を、悪人からも善き教えを、これら最悪と思われる中からこそ、最善の悟りを見出す、これが精神知識を備えた賢者と言うものです。
これら、生きていく間には、この様な場面に遭遇しなければならない事は起こりえます。
また自分も、このような事態を余儀なくされる事もあるでしょう。
しかし、苦は楽の種であり、晴れぬ長雨はなく、夜明けの来ない夜はないのです。
この苦しい時にこそ、学ばなければならないもの、苦しい時でなければ学び得ないもの、これこそがその人にとって、学びに必要な境遇なのです。
この過酷な境遇を活かしてこそ、人間としてこの世に生きる意義を果たすチャンスです。
世界に認められる日本の民俗芸能である津軽三味線は、目の見えない盲人が、その日の糧を得る為に、差別と侮蔑を受けながら乞食をしていった、想像を絶するほどの過酷な境遇があってこその、誕生なのです。
この様に、苦しみを苦しみとして受けるだけでなく、そこから抜け出す学びをしてこそ人間としての意義なのです。
しかし、ここで一番大事な事は、肉体的な苦しみは肉体的鍛錬とこの世で生きる知恵で克服し、精神的苦しみは精神知識を学んで、苦しみの根源を見極めなければならないと言う事です。
この精神知識を得るとは、道徳から始まり、倫理、宗教、哲学と、その真理を極めていく事に他ならないのです。
これらは神の科学であり真理なのですが、はやはりバガヴァット・ギーターを学ばなければ理解は不可能なのです よ。
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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず
私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。
人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
バール・クリシュナ・フミオ