今日は、「感覚と心と知性と魂の関係」について、書きたいと思います。
人間には五つの感覚器(目、耳、鼻、舌、皮膚)があり、またその感覚器によって五つの感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)作用が働きます。
その感覚器によって今度は心に、綺麗だとか醜いとか、いい音だとか雑音だとか、好い匂いか悪い匂いとか、それぞれの思いがうまれるのです。
そして、心に浮かんだ思いによって次には、知性がどう行動すべきかの判断が、生まれてくるのです。
例えば、ある家の垣根に沢山の花が咲いていたとします。
それを通りがかりの人が見ます。
先ずはそこを通る人によって、その花を綺麗と感じる人と、何も感じない人が、存在します。
その綺麗と感じることが心の感性であり、その感じかたで感性のある人と、ない人とがあるのです。
そして、感性のある人が、この花はすごく綺麗だな~と、心で感じたとします。
そこで今度は、その花を綺麗だから家に持って帰りたいという思いが、心に湧きます。
しかし、その人は黙って取って行っては泥棒になるからと、その場で鑑賞する事にしました。
またある人は、綺麗な花だから家に飾りたいとその場で切って、取って行ってしまいました。
この取って行ってしまった人の場合は、黙って人のものを取るのは盗む事である事を知らない、と言う知識を持っていない人か、また欲しいと言う感情に理性が負けてしまったか、のどっちかと言えるのです。
ここまでのやり取りは、感覚、心、知性、の三つの作用だけであり、この時点では魂の関与はないのです。
これらの状態をまとめますと、五感のそれぞれの先には心がつながり、それぞれの心の束ねは知性にまとめられ、その知性の横に魂が付き添っているのです。
一般的に魂は、これら五感から得られた感覚や、心の働きや、知性によって、肉体と言う乗り物に乗って、この世に翻弄されながら存在しているだけなのです。
個別魂は肉体と言う馬車に乗っている、御者は知性、手綱はこころ、感覚は馬に相当する。
<バガヴァッド・ギーター6章34節>
しかし、魂こそが自己であると、確信して主体性を持って生きている人は、その生き方として、精神知識を身につけ、心を支配し、感覚を抑制することができるのです。
自己が魂であると悟っている人は、魂を修行する為にこそ、逆にその感覚や心を有効的に活用しているのです。
本来肉体と言うものは、この様に魂の修行する為に駆使しなければならないのです。
しかし現実には逆に、感覚によって得られる快楽の奴隷になり下がってしまって、自己の果たすべき魂の責務を忘れ、楽しく快適に暮らす事が人生だと錯覚している人がほとんどなのです。
快楽は修行の敵であり、常に感覚と心の在り方を、精神的知識に結び付けておく事が重要なのです。
そしてその為に意識は常に、クリシュナへの厳粛なる信仰の心が、絶対不可欠となります。
これらは神の科学であり真理なのですが、はやはりバガヴァット・ギーターを学ばなければ理解は不可能なのです。
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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず
私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。
人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
バール・クリシュナ・フミオ