今日は昨日に続いて愛について書きたいと思います。
ほとんどの人は愛と言う言葉を聞くと即座に、素晴らしいとか、理想の姿を勝手にイメージしたりしてしまいます。
しかし、昨日のブログで、愛の分析を座標として分かりやすく描いてみましたが、「愛は則素晴らしい」とは、軽率に言えないことがよく分かります。
精神的 心的
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第二象限 ・ 第一象限
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束縛 ・ 解放
悲しみ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・歓び
奪う ・ 与える
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第三象限 ・ 第四象限
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肉体的 物質的
<愛の分析座標>
愛の本質は執着です。
先ずは、この本質を知ることが絶対必要です。
その行為が、相手に対して自由の解放や歓びを与える行為なのか、それとも物や自由を奪い束縛する行為なのか、それによってその愛も、忌まわしいものとなったり、慈悲の姿となったりするのです。
さらには、その行動が人間の魂を救う精神的なものなのか、はたまた肉体的や心的なものに対してなのか、それによって、その愛の価値も違ってくるのです。
当然人間の本性は魂です。
肉体や心は、その魂を精神的に成長させるための生体道具にすぎません。
しかし、ほとんどの人はその道具である肉体や心の病におかされて、苦しんでいます。
心も哲学的観点からすると肉体と同じ物質次元です。
でも、救われるべき本当の苦悩は、肉体や心ではなく、精神的存在の魂の迷いであるはずなのです。
しかしその魂の存在すら自覚していない人がほとんどであり、そのため魂の迷いは起き得ないは当然です。
せいぜい「肉体的に苦痛がないく、心的にも悩まずに、人生を過ごすのが幸せである」と言った、こんな程度の肉体次元の喜びで一生を終る、これこそが悲しむべき事なのです。
一番大事な、魂の責務を知らずして一生を終る事こそ、最大の不幸なのです。
魂は根源的なものであり、心の奥底にそっと潜んでいるため、心身が浄化されないうちは、その存在する自覚さえ、できないようになっているのです。
また、魂自体は、肉体や心と違って、目、耳、鼻、舌、皮膚で感じる五感の感覚はないのです。
魂は、最終的に心に刻み込まれた日常的な想念で、そのほとんどが無意識に形成されていくものなのです。
一般的にいえば、その人の気質となって形成されていく、と言うことなのです。
そこで大事なことは、愛の分析座標から見ても他者に対してや社会に対しては、自由の解放や歓びを与えると言う事が、人間の行為とし最も尊い、と言うことが分かると思います。
その尊い行為は「他者に奉仕と社会に貢献」ではないでしょうか。
これらは神の科学であり真理なのですが、はやはりバガヴァット・ギーターを学ばなければ理解は不可能なのです。
このバガヴァット・ギーターの教えに触れることの出来る人は、100万にのうち一人程度の確率と、私は思っております。
しかし、その100万人の中の一人の為に私は毎日このようにブログを書いているのです。
覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず
私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。
人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
バール・クリシュナ・フミオ
スカイプでバガヴァット・ギーターの無料指導を致します。
我こそはと思う方は、お気軽にコールしてください。