今日は「量より質を求める生き方」について書きたいと思います。


この「量より質」の本質について考えると、その本質はズバリ「物質的か精神的か」の違いにあると言えます。


つまり、量とは「物質の数や、数字で表す数字的な世界」であり、それに対して質とは「どんなものか」と言った物質であっても「質そのものや、在り方などの精神的なもの」をさすのです。


視覚や、重い、軽い、速いなどの感覚では正確に捉えられないものも、数字に置き換えてその質を推し量る事はよく行われます。


例えばスピードの様な速さや、物の重さや硬さ、電気の量と言った、感覚では正確に捉えられないものも、メーターなどによってその質を測っています。


ここで大事なことは、人間の感覚で捉えられないものであっても、いったん数字などの形にできるものになった以上は、これはもうすでに物質次元になってしまったと言う事です。


逆に、「質の本質は精神的である」と言う考え方は、「数字では絶対に置き換えられないもの」と言う事なのです。


例えばここに100万の預金通帳があったとします。


これは既に100万円と言う数字ありますから、物質として捉える事ができるのです。


しかし、この100万円の預金は、汗水流して労働してためたお金なのか、博打で稼いだお金なのか、また人を騙して稼いだものなのか、はたまた人の家に盗みに入ってのお金なのか、色々ありますがその100万円の質的なものは、見ただけでは知ることはできません。


しかしこの目に見えない質的な事こそ」本来は大事なことなのです。


これと同じように、人間の価値も「質的な精神的な側面から」観察する必要があると言う事です。


でも一般的には、お金持ちであるとか、大きな立派な家に住んでいるとか、役職が高いとか、と言った外観でその人物の評価をしがちです。


一番大事な人の評価は、他者に対する貢献や奉仕であり、それが人々の生きがいや苦しみを救う事であったり、人々を精神的に向上させる精神指導である事が、その人の価値判断基準となるのです。


その行為は決して、測定機で測れるもものではなく、人の心で推し量るものなのです。


最近は、人間の品性を評価する、「仁、義、礼」など、心で推し量る価値を評価する人が少なく、何事も金額で判断する、品性のない安っぽい人生観がはびこってしまっているように思えてならない。


所詮、数字で捉えられるものは、生きている間だけの価値でしかないのです、それに比べ精神的価値は死後の世界で、また来世の幸せの種としてその価値を発揮するものなのです。


れらは神の科学であり真理なのですが、はやはりバガヴァット・ギーターを学ばなければ理解は不可能なのです。


このバガヴァット・ギーターの教えに触れることの出来る人は、100万にのうち一人程度の確率と、私は思っております。

しかし、その100万人の中の一人の為に私は毎日このようにブログを書いているのです。


覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ


これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。


私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ




スカイプでバガヴァット・ギーターの無料指導を致します。

我こそはと思う方は、お気軽にコールしてください。

アドレス balkrishna75