今日は最高の指導者像について書きたいと思います。
人を教えまた指導する形としては、次のような場合があると思います。
1-学校教育での教科の教え。
2-社会に出て、会社での技術、や操作の教え。
3-歌、踊り、そのた芸術的要素を伝授する教え。
4-スポーツなどの体育系の技を指導する教え。
5ー道徳や倫理、宗教など人の生き方などの教え。
細かくはまだあると思いますが、とりあえずざっと思いつくままに書きました。
つぎには指導者として考えられる指導としては。
1-知識や技をただ教える指導者。
2-知識や技を教え、その人を育てる指導者。
3-人を指導している関係において、指導のしかたを自らも学ぶ指導者。
この三つの順は、人を育てるといった場合において、指導者の育て方の進化を示しているのです。
端的に言いいますと。ただ教える事から始まり、人を育てる教えと進化し、さらには指導をもって指導者自身も進化する、と言う事です。
昔から、「教えることは二度学ぶ事である」とも言われています。
そしてまた、教える教え方を指導者がかんがえることは、指導者自身も進化していると言う事なのです。
この指導者自身も進化する事こそが、指導すると言う本当の意義なのです。
しかし実際には次のような指導者像に分類できます。
1-生徒に嫉妬し生徒の能力を抑えてしまう指導者。<芸事の師匠によくあるタイプ>
2-生徒を食い物にし君臨する指導者。<宗教指導者によくあるタイプ>
3-生徒を活かし名誉を求める指導者。<スポーツトレーナーによくあるタイプ>
4-生徒と共に自分の成長とする指導者。<哲学の理想の指導者像>
逆を言うなれば、自らの精神的成長なくしては、理想の指導者像とはなりえないと言う事なのです。
その為には、教えている生徒からも積極的に何かを学ぼうとする、謙虚な姿勢なくしてはそれは不可能でしょう。
この謙虚な姿勢こそ、理想的な指導者として求められる質性なのです。
それに哲学の教えは個人指導が原則です。
それは、個人個人に生き方があり、その人その人の修行段階があるため、その状況を判断してその人に合った指導が必要だからなのです。
また生徒によっては、指導者の方が体験した事のない話や知識などもたくさん持っているわけで、それらを謙虚に教えてもらう事も、指導者の成長になるのです。
自分が知らなかった事に対して、また自分の考え方をそこに加え、新たな真理の提唱をしてこそ、精神指導者なのです。
それに哲学の世界では、これと言ったその人に固定された答えは無いのです。
その時その環境において、時と、場合と、相手と、程度によってその答えは違ってくるのが、哲学の教えなのです。
この教え教えらる関係こそが、最高の指導者像と言えいるのです。
これらは神の科学であり真理なのですが、はやはりバガヴァット・ギーターを学ばなければ理解は不可能なのです。
このバガヴァット・ギーターの教えに触れることの出来る人は、100万にのうち一人程度の確率と、私は思っております。
しかし、その100万人の中の一人の為に私は毎日このようにブログを書いているのです。
覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず
私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。
人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
バール・クリシュナ・フミオ
スカイプでバガヴァット・ギーターの無料指導を致します。
我こそはと思う方は、お気軽にコールしてください。