先日メールに次のような御依頼がありましたので、その二つの解釈を二回にわたりお伝えしたします。

ホームページ拝見させていただきました。折り入ってお願いがございます。
先日、ロベルト・ロッセリーニ監督の映画「INDIA」を観ておりましたら、叙事詩マハバラット(おそらくマハーバーラタ)と哲学者ギータは、自然と接するに際して次のように書いているとあり、以下の言葉がありました。
これは「「バガヴァッド・ギーター」の何章に書いてあるのでしょうか。

「真実の何たるかに悩むは凡なる者の常なり。正しからざるものの中にも真実の存することあれば、今はただ行うこと、これ肝要なり」

よろしくご教授くださいませ。

私の回答

はじめまして、HPをご覧いただき、またメールをありがとうございます。
先週から今日まで出張に行っておりましたので、先ほどメールを読ませていただきました。
さてご質問ですが、二つの文章がバガヴァッド・ギーターでは何章の何節にあるかは、残念ながら私のバガヴァッド・ギーターでは分かりませんでした。

そこで私の、私なりの解釈をさせていただきます。

「真実の何たるかに悩むは凡なる者の常なり。正しからざるものの中にも真実の存することあれば、今はただ行うこと、これ肝要なり」

2-真実はバガヴァッド・ギーターの言葉だけであり、それ以外この世のものはすべて、相対なるものであり、正邪善悪も相対の価値判断に過ぎない。
たとえば殺人も、普通の人が普段の生活の中で犯したものであるならば犯罪となるが、武人が正当な武人同士の戦いにおける殺人は、それは一般人の生活を超越した状況下での殺し合いであり、逆に多くの人を殺したほうがその責務を立派に果たしたと評価されるのです。


ここでの「正しからざるものの中にも」という意味は、この例をもってすれば御理解できると思います。
このギーターは、アルジュナが優しい心と道徳心に富んだ持ち主であったために、自分が武人であると言うことを忘れ、憐みの感情にながされ、最後は武人としての責務すら放棄しようとした事に、クリシュナはアルジュナに、「この愚か者めが」と、咎めたのでした。


「真実の何たるかに悩むのは凡なる者の常なり」まさに、武人は武人としての魂の責務をはたすべきを知らずして悩むのは、凡人の愚かなる者と同様である。・・と訳せます。

「正しからざるものの中にも真実の存することあれば、今はただ行うこと、これ肝要なり」は、普通の常識的な感情では、恩になった先生や、親族を殺すことは道徳的にも反する行為であり、正しい行動とは考えられない。しかし武人としての魂の責務をはたすことこそ真理であり、今はその真理に即して、魂の責務を果たす事が肝要である。と訳せます。

以上が私の、ギーターの解釈です。
バール・クリシュナ・フミオ

読者の方でこのようにバガヴァッド・ギーターの解釈を御希望の方はメールで御投稿ください。

メールアドレスsirai-katuhumi@sea.plala.or.jp に投稿ください。

なお、御投稿された内容はこの様にアメーバーにて御紹介させて頂きますのでご了承ください。