一見、専門に徹すると言う事は、素晴らしい事のように思えます。

その道一筋何十年なんて言われると、それだけで凄いものだと思ってしまいます。

確かにそのフレーズはそれで、素晴らしいことだと思いますが、更それ以上にやるべき事もあると思うのです。


専門その道一筋では、狭い世界だけに埋没していまう恐れがあるからなのです。

究めようとする道が深くなれば深くなるほど、偏狭で独善的に陥ってしまい、ニーズの変化に対応できず、取り残されてしまう事にもなるのです。


私は一つの道として、津軽三味線の演奏を極めてきましたが、それと平行して途中から、津軽三味線の起源や津軽地方の歴史などを調べて、その語りを始めました。

それは、津軽三味線の演奏家としては、三味線の演奏だけでなく、三味線の音色から訴えられてくる情念を語り伝える使命を感じたからなのです。


その後は、郷土の歴史人物の、無念の想いや、武士としての誇りや生き様を語りつぐ、「三味線の弾き語りの世界」を創り出しました。

ここでは自らも、その人物が訴えたい想いなどを、心に想起させて脚本をつくるのです。

そして、演ずる時はその人物になりきって、その人物の情念を訴えるのですが、これはもう霊媒師の領域に入っているようなものなのです。


この弾き語りの世界が、演奏だけでない別の芸域として、学校教育の場 でも活躍しているのです。

多分今の私の活動は、この弾き語りの世界が無ければ半分以下になっていたのではないだろうかと思っています。


バール・クリシュナ・フミオ