今回は、「さわり」について書いてみたいと思います。
「さわり」と言っても、「お」が付きますと、変な意味になりますがその、、「おさわり」ではありませんよ。
また一般的に想像する意味あいの、本文の始めの一節といった、「さわり」でもありません。
今日の「さわり」は、三味線の「さわり」についてお話いたします。
「さわり」は、「触り」と書きますと分かりやすいと思いますが、つまりちょっと触れる、と言う事です。
昔からの例えとして、「味気ないことを、触りのない三味線みたいだ」と言ったりすることがあります。
それだけこの、触りの効用はちょっとした事で凄い効果があるのです。
私の本業は、津軽三味線の演奏家 であります、津軽三味線を始めて今年で40年を迎えます。
私は、サラリーマン時代に20年間、殆ど独学でその技を、自分なりに極めて参りました。
そして、脱サラ後はプロの演奏家として現在20年目を目指しております。
演奏活動の時は、何時もこの「触り」に接しており、その効能の素晴らしさに感銘しているのです。
さわりの原点は、琵琶にあり、琵琶の「チュワ~ン、チュワ~ン」と言った、ほんの僅かに濁ったような音色が、その魅力です。
この僅かな濁りがあってこそ、魂の奥底に呼びかけるような、玄妙な音色となるのです。
それは、無意識を越えた、輪廻の過去性を呼び覚ますものであり、また魂の癒しとなり、侘び寥の音色ともなるのです。
触りの構造は、三味線の棹の先に、ねじで調整して突起物を上下させ、その突起物を糸に触らせ、濁りの響きを調整する構造になっているのです。
この触りは強すぎてもダメであり、また弱すぎても効果が出ません。
三味線の調弦の時はそのつど、完璧な触りの調整をしてこそ、最高の響きを出せるのです。
ピュアーな音色は、楽器自体の純粋性として基本的なるものであり、それはそれとして非常に重要な要素です。
しかし、ピュアーだけでは味気ないものです。
純粋なピュアーな音色に、僅かな濁りがあってこそ、魂までも揺り動かす玄妙さが醸しだされるのです。
この「触り」の教えから学ぶものは、純粋性は純粋性でそれは非常に大事ではあるが、しかしそれだけでは妙味を味わう事が出来ず、純粋の中に含ませる僅かな濁りがあってこそ、えも言えない世界を生ずると言う事です。
これは人生の生き方にも共通する、ヒントになると思うのです。
バール・クリシュナ・フミオ

