私は毎朝、半覚醒の状態で、今日はどんな事を書こうかと、心から沸き立つ想いを廻らせています。


普段から書きたい事は、沢山沸き立っていますが、それらを書き留めず、その朝に想い興された事を書くことにしているのです。


それは作家としての論文やエッセイを綴るのではなく、その日その場での新鮮な、自分の心のあり方を伝えてたいからなのです。


それこそ、それがブログの本質ではないかと思っております。


下書きもなく、予定も無く、その朝に思い起こされた事をブログする、これこそがブログの醍醐味なのでしょう。


そんな訳で、これから書きづづって行く間には、同じような事を何回も、書き綴る事もあると思いますが、それはそれだけ、私の心の奥底に、深く刻み込まれた思いだとして、大切な事だと思ってください。


さて、今朝は昨日、哲学の解釈として、三つの哲学の捉え方のお話を致しました。


1-知識として哲学を捉える、知識哲学。



2-歴史上の偉大な人の生き方を教訓として捉える、教訓的哲学。



3-人間の本質的生き方を知って信仰心を基にした、実践哲学(インド哲学)。



今日はこの三つをもう少し、判り易く例えをもってお話したいと思います。


ここに蜜が入った壷があります。


この壷をめぐって蜂たちがいますが、それぞれ三つの立場に蜂たちはいるのです。


先ず、1-の教理哲学者の蜂は、蜜の入った壷から離れて、その壷の形や色や模様、その他作者は誰か、何時頃作られたものか、どんな材質で造られているか、値段はどれくらい掛かっているか、などその壷をめぐって色々な角度から、蜜の味ではなく、蜜の入った壷を研究している蜂さん達と言えます。


次の、2-の教訓的哲学者の蜂は、蜜の入った壷にとまって、蜜のにおいを嗅ぎながら、ああこれが蜜の味かと錯覚し、これが蜜の味かと思い込んで、蜜の入った壷をなめている蜂さん達と言えます。


そして、最後の実践哲学者(インド哲学)は、壷の中に入り蜂蜜の味を楽しんでいる蜂さん達と言えます。

その人達は、インド哲学バガヴァット・ギーターを正しく理解し、その真理の実践に努め、この世の幻想的な一時的な幸福感ではない、永遠不滅の精神的歓喜を味わっている、本物の活き方をしている人たちです。


しかし、その様な人々は一千万人の中で、数人程度しかいない、非常に稀有な人々です。


それらの人は必ず、その生き方として、下記の五つの条件を満たした人達でしょう。


1-ギーターの真理に迷わず

2-ギーターの真理を確信し。

3-ギーターの真理を崇拝し。

4-ギーターの真理に服従し。

5-ギーターの真理に没頭している。


実は、これは私の今の生き様としての状態なのです。

覚者よ我を観よ、智者よ真理を聴け、勇者よ我に従え

これからはインド哲学バガヴァット・ギーターの時代です。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

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我こそはと思う方は、お気軽にコールしてください。

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バール・クリシュナ・フミオ