韓国人の親友 来店
1986年韓国からUS ARMYのレザーパイロットの輸入を始めたときの取引先のスタッフだった
カン、ソクピル氏そのころは、英語と韓国語のチャンプルで商談していました。まだまだ韓国は、発展前でなんでも安かったんですよ。日本語ができたら起業できるし給料もあがるということで、CAPE CODでアルバイトしながら我が家から日本語学校に通い、ケープでバイト後我が家で、食事を囲んだりしていたら3か月で日常会話は、不自由なくしゃべれるようになりました。韓国で15年まえに起業し、現在は、中国の広州から日本の会社と取引しています。年に数回は、我が家で過ごして いつも義理堅くつきあってくれています。いろいろな外国人が居候してよきました。前回の津波のときは、5か国から心配して電話をくれ
オーストラリアのタスマニア島に空き家があるので避難しろとか 温かい連絡がありました。
写真は、数日前と15年前に日本アルプスの槍ヶ岳へのアッタックです。
いまはやりのイケメンの韓国人とは、ほど遠いながら、韓国の経済の脅威を感じるなんて
夢のようです。