またひとつ歳をとる | 香椎攻防記

香椎攻防記

轟丸英士、アラフォー。
底辺窓際サラリーマン。
主に通勤時間中の時間潰しの駄文、ならびにダイエット記録です。

 今となっては、勘違いだったのかもしれないと思うこともあるが、競技としての格闘技をやっていたら頃は日々自分が進歩しているように感じていた。競技的なスキルはもちろんのこと、メンタルコントロールスキルも含め、競技を通じて日々人間として成長している、と。毎年誕生日を迎える度に、歳もとったけど、その分成長したよな、円熟味を増したよなと思っていた。一年を振り返ると試合を中心として、色んなことがあった。刺激的な毎日だった。

 もう少しすると私も41歳になる。ほんのちょっと前に40代に乗っかって驚いたばかりだというのに、もう一年経とうとしている。とてつもなくはやい。もっと言えば三十路に突入したことに信じられなかったのもつい最近のことだ。

 

 40歳の一年を振り返ると…。

 仕事はまぁ楽しくは無いが、食うに困ることもなく、そこそこの報酬はもらえている。たまには家族旅行なんかにも行っちゃってる。日々無邪気な子供の笑顔と成長を眺めるのは楽しい。そして妻との仲も良好だ。近くに住む妻の両親にもよくしてもらっていてありがたい。

 つまり、まぁ幸せだ。客観的に見れば絵に描いたような幸せを享受しているのだろう。

 …しかし一年を振り返ると、あれ何してたっけ?と思い出せない。あれ、オレ1年間どんなふうに過ごしてきたんだろう…と。毎日毎日、それなりに平和な日々を過ごしてきたということは覚えている。しかし、何も無い。何かを成し遂げたり挑戦したりと言ったことは何も無い。一年前の自分からたぶん何も変わってないような気がする。肉体の細胞は正直に劣化していっているのだろうが。


 振り返ると、この一年の数少ない思い出がふたつのライブに参加したことだ。何度も行っている長渕剛のライブと、初めて参加した矢沢永吉のライブ。

 特に驚いたのは初めて参加した矢沢永吉のライブだ。もともと特別、永ちゃんファンというわけでは無かったのだが、自分の親世代のおじいちゃんである永ちゃんがどんなパフォーマンスをしてるんだろう、という興味から妻と共にマリンメッセ福岡に参戦した。…圧巻だった。足が効かなくなって、耳も遠くなりつつある我が両親と同じ世代とは到底思えないキレのある動き。シャウト。そして色気。無茶苦茶かっこいい。

 あれは日々とんでもない鍛錬を心身ともにしてるんだろうな…と思った。ヤンチャな面影を残しながらも、大人になっている矢沢ファン達とは対照的に矢沢永吉は時間が止まったかの用に矢沢永吉だ。いまだに走り続けているのだろう。長渕剛もそうだ。剛と同じだけ歳をとったファンたちの剛コールは小さくなり、座っている観客も増えているなか、本人はいまだにタンクトップを着て筋肉を誇示しながら、首に筋を立てて叫び散らしている。まだまだ闘うことをやめていない。


 そりゃあスーパースターとサラリーマンは違う。が、いまの私は何にも挑戦をしていないつまらない中年の男だ。

 ぬるま湯のような幸せはありがたい。しかし、このままではあっという間に、気がついたらじいちゃんになっちまうのだろう。

 日々、なんらかの課題、自分の中に問題意識をもち、挑戦してゆかねば。これからの生き方次第で、今までの私も報われるのだ。あの頃の成長は勘違いではなかった、と。ふと帰りの電車で思ったことをつらつらと。

 さて、何しよっかな。