30年目のバリクバヤン  -10ページ目

30年目のバリクバヤン 

「バリクバヤン」とは、フリィピンの言葉で「里帰り」の意味。
1978年にフリィピン人と結婚。今年2月にサラリーマンを卒業。
4月下旬から3週間の里帰りを予定しています。
出会い~結婚~現在までの38年間と里帰りの顛末を綴ります。

我が家は、4LDK(96㎡)のマンションである。今は、私・妻・娘の3人暮らしである。4人の客を迎えるにあたり、各部屋の大掃除と模様替えを行うらしい。


妻は、8月頃からいろいろプランを考えており。古くなった冷蔵庫と電話(固定電話)とトースターを買い換えた。


また、業者を呼び床のカーペットの交換とカーテンの見積もりを取った。カーペットの交換は費用が嵩むために諦めることにした。


夏に相談したときは、雑魚寝ふうに考えていたが、夏が終わると同時に段々涼しくなってきたので、多少の布団・毛布の類が必要なことが判った。


妻は、9/29から10/31まで勤めを休んでいる。同時に家のあちこちで本格的な大掃除が始まった。丁寧にやるので時間が掛かる。私も休みの日はなるべく手伝うことにした。


あと2週間あるのでなんとかなると信じている。

義姉を日本に招待する事は、昨年4月に私達が里帰りした時から決まっており。今年になってから妻は

二人の子供から毎月上納金を命じて集金していた。


二人供、素直な性格に加え妻の性格は熟知しているから逆らうなどという思考はない。ただ、金額交渉をすることが精一杯である。

子供との話が無事に纏まったあとは、私に狙いを定め、毎月の給料日と年金支給日の前日に集金の通告があった。私も精一杯の金額を渡す。


それから今年に入り、妻はカードを2枚新規に作った。キャッシングとショッピングに使うらしい。


用意周到に妻の元にお金が集まっている。

当初は4月に呼ぶ予定であったが、半年ずらして

いよいよ来月に迫ってきた。


妻は、明日から10月31日まで勤務先を欠勤し、準備とおもてなしに当たるようだ。


私も10月17日から休むよう指示を受け、昨日欠勤届けを会社に提出した。

当初10月4日にビザが発給されると連絡があったが、9月23日に全員のビザが発給されました。

(ホームページに記載の通りでした。)

15日間のビザだそうです。


日程の確認と航空券の手配についてあれこれやり取りをしました。

当初は義姉(70歳)1名の予定でしたので、ANA便を指定し、その航空券代を送金する予定でしたが、人数が増え、しかも3名がマニラから1名が台湾から来日することになったので、成田着の時間をなるべく合わせたフライトでお願いしました。結局送金の問題は妻に任せました。


10/14~10/22 4名。義姉のみ更に1週間滞在の予定です。


これから日本滞在中のプランを考え、予約などの手配をします。

ある日の夜、フリィピンの義姉から電話があった。

書類を一式、代理店に提出したら申請に使う写真の

再提出ということらしい。


こちらから送った申請書フォームには、写真のサイズと諸注意事項が書いてあったから当然それに従うと思うのが日本人。


適当な写真を選んで貼るのがフリィピン人。理解はしているが、慌てる私。まして、この義姉は、フリィピンで教師を40年務めた常識人。どうしてこうなるのかヤキモキしてもしょうがない。

同時に妻の出生証明書がやはり必要になるらしい。

これは、ビザ申請書類の一覧に書かれているから譲れないと代理店側は言うらしい。


そこから1週間、生まれ故郷の役場(義姉の家から車で2時間)へ行き確認するも書類は不明。


確かに38年前の私達の結婚・入籍時にもこの書類がなく大変な思いをした記憶がある。(この時は、

2,000円位でどこかでタイプ打ちの書類を用意して無事解決)


再度代理店へ行き相談すると、妻の身分証(日本の免許証・フリィピンパスポートのコピー)と委任状を用意し姪がマニラのある役所(詳細不明)に行きある証明書を取得して解決。


そんなこんなで9月に入り、書類は無事受理されて

現在、ビザの発給待ちの状態。(9/9~9/12・9/17~9/19が大使館休業)


金曜日のメールでは、10/4に発給されるらしい。

大使館のHPには、代理店へ申請して1週間後に

ビザ発給と記載されているが、予想外の展開に

驚く。


来日予定は、10月中旬なので間に合うことは確かだが、これから送金と航空券の手配をフリィピン側に

お願いするので、まだまだ油断は出来ません。

過去に4回、訪日ビザ「親族訪問を目的とした短期滞在査証」の申請をした事があるので、今回の義姉についても同様の手続きが必要と考え、在フリィピン日本大使館のホームページを参照して書類・参考情報を印刷して準備をした。


身元保証人・招聘者は私である。

日本側の書類は、市役所で即準備できた。

「戸籍謄本」「住民票」「所得証明書」の3種類。

また、招聘理由書・身元保証書を作成し、同時に

ビザ申請書と英文の査証に必要なフリィピン側の書類一覧と申請代理店の一覧も同封。


私の経験上、招聘理由書・身元保証書に記載する

義姉の正式名称を把握したいのでパスポートコピーと出生証明書のコピーを事前に私宛に送ってもらった。過去にも書いたがフリィピン人は普段ニックネームで呼んでいるのと、結婚などでミドルネームが変わるから使用するパスポートの氏名と一致しないと

トラブルの元になる。


送られて来たパスポートコピーの氏名を確認しながら書類作成。



次に私の妻と義姉の関係を確認できる書類という

項目が気になる。


日本大使館の書類リストには、妻の出生証明書が

必要と書いてあるのだが、過去には一度も提出

した事がない。


私の考え方は、妻は30数年前に日本に帰化しているので、フリィピン側の書類は不要と思い、私の戸籍謄本の配偶者欄に妻の氏名と誕生日・出生地(フリィピン)・両親の名前(カタカナ記載)の記載があり、送ってもらった義姉の出生証明書に両親の記載

(英語記載)があり、完全に一致するので、両親が同一なら姉妹という発想である。


但し、戸籍謄本には帰化については触れられていない。補足資料として、結婚後、初めて来たときのフリィピンパスポートと現在の日本のパスポートのコピーを添付した。


その書類を義姉に送ったところ、長女夫妻と台湾在住の次女の3人も一緒に日本へ行きたいとの連絡が

来たのである。


そして、妻の姪は義姉と同じ「親族訪問」で良いのか

「知人訪問」になるのかという疑問が湧いた。これも

ホームページで確認すると三親等までは「親族訪問」で良いことが判った。


だが、将来姪の子を呼ぼうとしたら四親等なので「知人訪問」となるのである。


また、台湾在住の次女は、台湾人と結婚しているので、台湾パスポートを持っていればノービザで日本に来られるのでその確認をした。次女は、台湾パスポートを所持していた。


長女夫妻のビザ作成に必要な書類を用意してフリィピンへ送った、7月下旬から8月上旬のことである。


そして、またまたトラブルが発生する。

(これだから人生は面白いのである) 


続く