仕事について① | 30年目のバリクバヤン 

30年目のバリクバヤン 

「バリクバヤン」とは、フリィピンの言葉で「里帰り」の意味。
1978年にフリィピン人と結婚。今年2月にサラリーマンを卒業。
4月下旬から3週間の里帰りを予定しています。
出会い~結婚~現在までの38年間と里帰りの顛末を綴ります。

1968年4月に某工業高校を卒業。

早くに父親が亡くなっていたので、母や兄達を

助けたいと思い、正直職種や会社・業種を選ぶという

発想は無かった。

私は、学校に一番最初に来る求人に応募しようと決め、

無事にその会社に採用された。今では世界的に著名な

S社であるが当時は資本金32億程度の中堅企業であった。

 

本社は五反田にあったが、私は隣の大崎駅に程近い

工場でカラーTVのブラウン管製造に従事した。

7:00~15:00・14:00~22:00の勤務を1週間交代で行う

交代勤務であった。給料は標準的であったが、交代勤務

手当てと賞与が比較的高額だったので収入は割合多かった。

当時は、カラーTVが売れに売れ私達も徹夜。残業は

当たり前で忙しかったが、今振り返ると良い思い出である。

MADE IN JAPANのカラーTVは全世界に輸出されて行った。

工場のラインはドンドン拡大され大崎だけで4ライン。それでも

不足で国内は稲沢・一宮。海外も米国・英国に工場が新設。

一緒に働いていた仲間がリーダーやキィーマンとして各地に

赴任して行った。(後年この方たちのお世話をすることになるとは

当時は夢にも思っていなかった。)

拡大期の企業は、活気もありイキイキとしていた。 つづく