私の海外渡航歴9 フリィピン 初めての里帰り | 30年目のバリクバヤン 

30年目のバリクバヤン 

「バリクバヤン」とは、フリィピンの言葉で「里帰り」の意味。
1978年にフリィピン人と結婚。今年2月にサラリーマンを卒業。
4月下旬から3週間の里帰りを予定しています。
出会い~結婚~現在までの38年間と里帰りの顛末を綴ります。

前回の補足、1978年8月に結婚し日本への配偶者ビザは、

12月上旬に発給され、無事に来日し夢のような新婚生活が

始まりました。


慣れない日本での生活に苦労する妻。丸2年が経過したところで一度フリィピンへの里帰りを計画しました。


1980.12.28~1981.1.6 妻は1ヶ月前に先に返し、私は仕事の都合で年末年始のみ。行きは一人で帰りは二人です。


この時、到着のマニラ空港でハプニングが発生。

荷物を受け取ろうとターンテーブルを見ていると私のスーツケースがありません。似た色のスーツーケースが廻っています。最後まで荷物を見ていると旅行客は誰も居なくなり私が一番最後になりました。どうやらスーツケースを間違えられたようです。


私の英語力はトラブルに対処できる程、流暢ではありません。妻が迎えに来ているので中に入って来れれば対処できると閃きました。私は残ったスーツケースを持ち、これは私のでは無いと係官に言い、妻を中に呼んでも言いか聞きました。当時のマニラ空港は荷物の受け取りと荷物を調べる

場所の直ぐ向こうに扉があり、その外側に大勢の出迎えの

人がいます。10Mくらいの距離です。

私はドアを開け、出迎えの妻を中に呼び、係官に事の

顛末を説明してもらいました。


荷物受け取り場所の一角に荷物の預かり場所があり、そこで書類を記載提出すると、半券をくれました。私の荷物が

出てきたらこの半券と引きかえるという話です。


幸い荷物の中身は、私の身の回りの物で、お土産は別送で送ってありますので、旅行に差し支えるものはありません。


34年前のフリィピンとはいえ、出迎えの人を出国スペースに入れることは今では考えられません。


出迎えの妻と合流した私たちがしたことは、下町の衣料品店に行き、下着やTシャツを購入しました。


じつは、この時の旅行は、このハプニングの印象が強く、他の事は覚えていません。


この時、マニラには親戚は居ませんので、翌日国内線で妻の田舎へ向かい、久しぶりの再会と元気な様子を親・兄弟にみてもらい、安心してもらいました。


なお、見失った荷物は、帰国前日にマニラに戻り、電話で

空港に確認したら保管しているとのことで無事に戻ってきましたが、一度も使われずそのまま戻りました。