1977年8月に3回目のフリィピン旅行に行く。
1ヶ月前に、その事を母親に伝えたら「何のために度々フリィピンに行くのか」と
言われたので、「気候も風土も人々も気に入った」と答え、まだ彼女の事は、
秘密にしておいた。この時、私は母親と2人暮らしで、もし彼女と結婚したら
所謂、嫁・姑の問題があり、日本人でもいろいろうまく行かないので、
まして意思疎通の難しい外国人ならどうなるのかという思いはあった。
私は、4歳の時に父親が亡くなり、母と15歳上の兄に育てられたので、
この両人には頭が上がらない。母は大正4年生まれの昔の人である。
(後年、彼女と結婚したが、やはり問題が起きた。結婚3年後に母は
亡くなった。80歳の兄は健在で今でも頭が上がらないが、我々も結婚36年を
過ぎたので、一応認められている)
渡比の事を例により、手紙で彼女に伝えたが、歯切れの悪い返事が来た。
体調不良で田舎に帰るので、会えないかも知れない。と返事が来る。
こちらは、田舎まで行ってお見舞いする。何が何でも行く。会えなくても
構わないと伝えて、渡航の手配を進めていると、本当に体調不良なので、
会えないが、前回同行した「ビボップ」が対応するし、こちらに来たら
電話でなら話せるということ。別に私の事は、嫌いになったのではない。
という言葉を信じて3回目のフリィピンに旅行することになった。
行ってみると非常に重大な問題が我々二人の前にあったのである。