江戸時代末 慶応三年から150年.
伊勢神宮をはじめとする 神祓(おふだ)が天から降ってきたのを契機に、民衆が踊り歩くハチャメチャな騒動が、三河 吉田藩 牟呂村大西 ( 現 豊橋市牟呂大西町)から全国へ広がった現象が「ええじゃないか」
30年位前は、ええじゃないかは名古屋発祥と日本史の教科書に書いてあったと思いますが、最新の学説では、豊橋発祥.
牟呂八幡宮の森田光尋(みつひろ)(1825-1898)が、神祓の降下を記録した「留記(とめき)」が解読され、慶応三年で最初に神祓が降った記録(歴史学的証拠)が、七月十四日の牟呂村大西での外宮の神祓降下だと、発表されました.
「ええじゃないか」は三河の言葉ではないから、豊橋が起源とは?と疑問を持つのは当たり前。
当時、三河では「おかげ」とよんでいて、全国へ伝播した現象を、後から総称して「ええじゃないか」としたから三河弁ではないのです.
江戸時代の「おかげまいり」は、集まり踊り、通行手形なしで、伊勢神宮を目指し参拝した騒動で、約60年周期で繰り返しおこった現象です.
おかげまいりでも、神祓(おふだ)が天から降ってきたのが、きっかけ.
ええじゃないか と おかげまいり の違いは、ええじゃないか では伊勢神宮を参拝しないで、その地その地で群衆が踊りくるったと、耳にします.
ええじゃないか豊橋市発祥説は、
2001年の愛知大学の出版に続き、
2003年に豊橋市美術博物館での「おかげまいり と ええじゃないか 展」
そして、2006年には名古屋市博物館にて「ええじゃないかの不思議 展」
「ええじゃないか」起源を記す歴史学的証拠「留記」は、平成12年(2000年)に豊橋市の文化財に指定され、豊橋市美術博物館が所蔵.
つまり、ええじゃないか豊橋発祥説は、21世紀に入ってからの学説.
豊橋市はいち早く「ええじゃないか」を活性化のキーワードに取り入れ、10月の豊橋まつりを「ええじゃないか豊橋まつり」として、盛り上げています.
さてさて、150年前の歴史の地を巡ります.
慶応三年(1867年) 卯七月十四日 七ツ時( 4AM)
大西村 多治郎(たじろう) 屋敷 東竹垣際、笹のうらに 外宮 の御祓(おはらい=神札) 降臨まします。
翌日七月十五日 夕暮れ、天王社(現 素戔嗚社) 庚申の東の雑木の枝に磯部(いそべ=伊勢神宮別宮 伊雑宮のこと)の御祓ふりけり。
境内は大正時代に整備されて江戸時代の面影は乏しいけれど、伊勢神宮が分祠されています
牟呂地区には、伊勢から移住した人が多いとききます.
神札の降臨は、外宮、伊雑宮に続いて、
七月十五日晩、牟呂中村 普仙寺(ふせんじ)内、秋葉の石灯籠の垣のすみ竹に 内宮の御祓 降臨
石灯籠は文政八 酉年十一月建立と刻まれ、ええじゃないか発祥の慶応三年の42年前から残るもの.
内宮の神札がどこから降ったのか?
この石灯籠は見ていたでしょう.
七月十四・十五日の外宮、伊雑宮、内宮の神札が降ったエリアをグーグルマップで確かめると、牟呂小学校の西側.
ええじゃないか発祥地から、東へ1.3kmの距離に、牟呂八幡宮が鎮座.
今日は西暦(太陽暦)七月十四日ですが、江戸時代の旧暦七月十四日(2017年は9月4日) 朝4時に、発祥地を訪ねてみれば、ええじゃないかの歴史をより身近に感じられるかもしれません.
牟呂から吉田藩のど真ん中へ伝播したのが、七月十八日.
150年目の ええじゃないか!