[550] ええじゃないか ! 150年 | ひつじの手帖

ひつじの手帖

2013年5月から200日間ブログ。ブログは休眠中。本業の設計事務所は稼働しております。

本日、平成29年(西暦2017年) 7月14日は、ええじゃないか発祥日.

江戸時代末 慶応三年から150年.

{DF71CF32-39D1-4787-8452-7FA0AB14D33F}
「ええじゃないか」は江戸から明治へと時代が転換する中で、はちきれた民衆パワー.

伊勢神宮をはじめとする 神祓(おふだ)が天から降ってきたのを契機に、民衆が踊り歩くハチャメチャな騒動が、三河 吉田藩 牟呂村大西 ( 現 豊橋市牟呂大西町)から全国へ広がった現象が「ええじゃないか」

30年位前は、ええじゃないかは名古屋発祥と日本史の教科書に書いてあったと思いますが、最新の学説では、豊橋発祥.

{51F44D78-6CE3-4E30-B231-CC20B8282A83}
2001年3月に発行された 渡辺和敏 著「ええじゃないか」愛知大学綜合郷土研究所ブックレット.

牟呂八幡宮の森田光尋(みつひろ)(1825-1898)が、神祓の降下を記録した「留記(とめき)」が解読され、慶応三年で最初に神祓が降った記録(歴史学的証拠)が、七月十四日の牟呂村大西での外宮の神祓降下だと、発表されました.

「ええじゃないか」は三河の言葉ではないから、豊橋が起源とは?と疑問を持つのは当たり前。
当時、三河では「おかげ」とよんでいて、全国へ伝播した現象を、後から総称して「ええじゃないか」としたから三河弁ではないのです.

江戸時代の「おかげまいり」は、集まり踊り、通行手形なしで、伊勢神宮を目指し参拝した騒動で、約60年周期で繰り返しおこった現象です.

おかげまいりでも、神祓(おふだ)が天から降ってきたのが、きっかけ.

ええじゃないか と おかげまいり の違いは、ええじゃないか では伊勢神宮を参拝しないで、その地その地で群衆が踊りくるったと、耳にします.

ええじゃないか豊橋市発祥説は、

2001年の愛知大学の出版に続き、
2003年に豊橋市美術博物館での「おかげまいり と ええじゃないか 展」
{E99FE10C-5F16-4D88-9AB3-DDE48AF4D01B}


そして、2006年には名古屋市博物館にて「ええじゃないかの不思議 展」
{020705D7-07ED-4D8D-A05C-9249BE2C8127}


「ええじゃないか」起源を記す歴史学的証拠「留記」は、平成12年(2000年)に豊橋市の文化財に指定され、豊橋市美術博物館が所蔵.

つまり、ええじゃないか豊橋発祥説は、21世紀に入ってからの学説.

豊橋市はいち早く「ええじゃないか」を活性化のキーワードに取り入れ、10月の豊橋まつりを「ええじゃないか豊橋まつり」として、盛り上げています.


さてさて、150年前の歴史の地を巡ります.
{C7F02E33-41B9-45A5-8317-4C43EB5908BA}
「留記」森田光尋 記述、豊橋市指定文化財

慶応三年(1867年) 卯七月十四日 七ツ時( 4AM)
大西村 多治郎(たじろう) 屋敷 東竹垣際、笹のうらに 外宮 の御祓(おはらい=神札) 降臨まします。

{3EE36D3E-40BF-4089-B691-FCD526DF918F}
この辺りに、外宮の神札が降ったと伝わります.
豊橋市牟呂大西町

翌日七月十五日 夕暮れ、天王社(現 素戔嗚社) 庚申の東の雑木の枝に磯部(いそべ=伊勢神宮別宮 伊雑宮のこと)の御祓ふりけり。
{0648098D-9505-460A-90EA-8A6F6598D1D4}
牟呂大西町に鎮座する素戔嗚社(旧 天王社)

境内は大正時代に整備されて江戸時代の面影は乏しいけれど、伊勢神宮が分祠されています
{8790A032-1395-4400-B162-1730E0CFE8E4}

牟呂大西は、江戸時代は陸の西端、ここから西には三河湾が広がり、伊勢とは船が往来し、海の道で繋がっていました.

{92D9275A-37C2-4604-8C0B-13F04A7E0BC5}
夏祭りのスポンサー名が、伊勢屋.

牟呂地区には、伊勢から移住した人が多いとききます.


神札の降臨は、外宮、伊雑宮に続いて、
七月十五日晩、牟呂中村 普仙寺(ふせんじ)内、秋葉の石灯籠の垣のすみ竹に 内宮の御祓 降臨
{2B66B14F-2280-4AED-BE33-BD4088DDFCE7}

秋葉さんの石灯籠は、普仙寺さんから200メートル離れた 作神社 隣の弘法堂へ移設されています.
石灯籠は文政八 酉年十一月建立と刻まれ、ええじゃないか発祥の慶応三年の42年前から残るもの.

{81EFE797-4518-4B93-8B75-6C4C8F8F11D5}
文政八年建立の秋葉さん石灯籠
内宮の神札がどこから降ったのか? 
この石灯籠は見ていたでしょう.

七月十四・十五日の外宮、伊雑宮、内宮の神札が降ったエリアをグーグルマップで確かめると、牟呂小学校の西側.
{2ED73513-1339-4A31-8E78-8A68AC128EB2}
黄色の☆印が神札降下場所.

ええじゃないか発祥地から、東へ1.3kmの距離に、牟呂八幡宮が鎮座.
{08582368-1806-4AF9-A9D0-A0BF072E2989}
牟呂八幡宮 社家(神主)の 森田光尋が、記録に残した 神札降下.

{3C5BF743-A1DB-49FF-9D31-2D87CA4212FE}
ええじゃないか発祥地として「ええじゃないか豊橋お守り」を頒布しています.

今日は西暦(太陽暦)七月十四日ですが、江戸時代の旧暦七月十四日(2017年は9月4日) 朝4時に、発祥地を訪ねてみれば、ええじゃないかの歴史をより身近に感じられるかもしれません.

牟呂から吉田藩のど真ん中へ伝播したのが、七月十八日.
{3AF6DC49-C8F8-49C2-BFFB-EC7F70A79335}
豊橋市のマチナカで、ええじゃないか乾杯を7月18日にするのも、楽しいかも!

150年目の ええじゃないか!