内宮奉献は川曳きからスタート。
トップバッターの宇治奉献団に続き二軒茶屋奉献団です。川へ入る前に集合写真パチリ。
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お白石が橋の下をゆく際は、橋の上は自動車や人の通行を制限し、神域に敷かれる お白石を人が跨ぐことのなきよう配慮。写真は宇治奉献団。
もちろん綱も、またいだり、踏んづけるのは、ご法度。
綱の下をくぐるのがルール。
浅瀬では船の櫂のような道具を使いソリの進行をスムーズに。
宇治橋手前で川から陸へ曳き上げるエンヤ曳き体制に。
奉曳のクライマックスを前に気持ちが高まります。
危険を伴う為、子どもは綱から離れ高齢者は前へ移動。
この後、カーブを描きながら綺麗にエンヤ曳きが決まり、涙が出るほどに感激。200メートル近く走り抜けたと思います、無我夢中でした。
お白石の樽の縄をほどき、一人一人に配られます。手にしたお白石は太陽を浴びてポカポカと温かく、力を併せ運んできた石だけに、愛おしくさえ感じるほど。
白布に包み、ご正宮までの参道を歩きます。お白石を受けとったら、トイレ(ご不浄)へは行けません。
新宮(にいみや)のご正宮は磨きぬかれた素木(しらき)の檜が香しく、細工の施された金物で装飾され、欄干の五色の据え玉が彩りを添えて、それはそれは美しくため息。
感激の中、お白石を奉納。
ご遷御後は、天皇皇后両陛下しか立ち入ることのできない神域。
写真撮影は神宮司庁から許可を得たマスコミやフォトグラファー限定。
伊勢文化舎Facebookページ「伊勢のお白石持」 から写真を転載させていただきました。宇治奉献団の様子。
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無事つつがなく奉献を終え、宇治橋前にて、木遣りで〆。
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二軒茶屋と豊橋は、明治時代には毎日蒸気船が運行し、海で結ばれた縁。
江戸東京から東海道で伊勢を目指す参宮客には、豊橋から船で伊勢を目指すショートカットルートは人気が高く、船参宮客で賑わいました。
無事つつがなく奉献を終え、宇治橋前にて、木遣りで〆。
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二軒茶屋と豊橋は、明治時代には毎日蒸気船が運行し、海で結ばれた縁。
江戸東京から東海道で伊勢を目指す参宮客には、豊橋から船で伊勢を目指すショートカットルートは人気が高く、船参宮客で賑わいました。
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二軒茶屋餅角屋の20代目 鈴木宗一郎さんのお世話になり奉献に参加させていただきました。
宗一郎さん家族に囲まれ、21代目 成宗さんの木遣りに励まされ、賑やかに楽しく川曳きさせていただき感謝。
二軒茶屋餅角屋の20代目 鈴木宗一郎さんのお世話になり奉献に参加させていただきました。
宗一郎さん家族に囲まれ、21代目 成宗さんの木遣りに励まされ、賑やかに楽しく川曳きさせていただき感謝。