こんにちは。
読みに来てくれて、ありがとうございます。

実は2ヶ月前の9月、私は超スランプでした。それはそれは酷いものでした。
けれど翌月はアリ(旦那)さんの実家で大きな儀式がある…。
こういう時、一番に思ったのは、やっぱり日本に帰りたいと言う事でした。
今回はそんな私の心のお話しです。

前回同様に絵のコマ数が多くなったのですが、もう一気にいっちゃいます。☺
良かったら、お付き合いください。

まずは昔のお話しから。
2003年9月、バリ島へ一緒に遊びに来た私の親友が、日本で結婚式をしました。当時、息子の春輝は1才7ヶ月。でもアリさんも了承してくれていたので、私は息子と2人で初めての里帰りをする気満々でいました。ところが…。

ホントにホントに出席したかった結婚式。でもアリさんの言う事も一理あるのは確か。でもあれは、はなっから行かせる気がなかったとみた私。ウソをついた罰として、今度は絶対に守って貰う約束を交わしました。

そして、月日は流れて2017年。小さかった息子はもう高校1年生です。日本語ガイドをしているアリさんにとって、8月は稼ぎ時シーズン。そんな忙しい合間にも、10月の儀式の準備等で田舎へ帰リました。完成間近の家族の寺院や、森エリアに新しく建てられた5つの祠。確かに凄いのだけど、日本人の私には気になる点が幾つか見えてしまいます。

何か気が乗らなそうな "ウン" と言った、アリさんの返事…。あのすっとボケ感は嫌な予感がします。そして、その予感は的中。私も9月はどうしたことか、自分自身の心のコントロールがきかず、超·情緒不安定。

普段の私なら “喧嘩は両成敗” と思っていますが、今回は100%アリさんのせいにしようとしていた私…。と同時に日本に帰りたいと言う気持ちも高まります。ただ、“帰りたい” の後ろに続く言葉はいつも、“帰れない…”。ところが今度ばかりは、“帰りたい” から、はっきり “帰る‼“ と言うように気持ちが固まってゆきました。むしろ、“帰るべき”、“呼んでいる…?” と思いました。

尻もちをついて1週間以上たち、ようやくクリニックへ連れて行ってくれたアリさん。一応、アリさんなりに仲直りをしようとする努力は見られるし、私もそうしたい気持ちもあるのだけど、9月はホントに心のコントロールがうまくいかず、身体もヘンでした。

この超·スランプから抜け出す事が出来たのは、人の言葉でした。何度も言葉に助けられたお陰で、私は自分自身を見つめ直す事が出来、10月の儀式にきちんと向き合う事が出来ました。

何だか、スゥ~と着地したような、肝が座ったような、そんな感じがします。これを “覚悟ができた” と言うのであれば、そうなのかもしれません。でも手探りで生きている私は、また必ず色んな場面で迷ったり悩んだりします。でももがきながら、それでもきっとこういう事を繰り返して行って、人は少しづつ成長して行くんでしょうね。


おまけの写真 : 
群馬県民の馴染の深い “上毛かるた”。

私の故郷 

お墓参りに行きたいなぁ。
お母さんの実家 : 妙義
お父さんの実家 : 下仁田

私のゆかりの神様達がいらっしゃる場所。
高崎の観音様。
富岡の貫前神社。