Jan 19, 2019 (Sat)

土曜日はM田 瓢箪山初出撃

予め見つけていたDebating 向きの喫茶店

奥まった座席 トイレ近く

一般向きではない議論をするには丁度良い場所

M田の話で一番面白かったのは旧制五高教師

秋月胤永(かずひさ)のエピソード

授業に遅れてきた生徒に怒りもせず

「足下はいずれの藩か?」と尋ねたという。

君はどこの藩出身者なのか・・

 (我が会津藩では授業に遅れることなど

  ありえない話だ・・)

生徒も出身藩の名を出して藩に恥をかかせる

ことなどできない・・・ 一番厳しい叱り方になる。

 

秋月 悌次郎(あきづき ていじろう、1824-1900

会津藩士)、教育者。名は胤栄、字は子錫[1]、号は韋軒。

明治維新後は、胤永(かずひさ)と名乗る。

 

会津藩の藩校日新館、幕府の昌平坂学問所で学ぶ。

京都守護職に任命された藩主松平容保に随い、公用方として諸藩との交渉にあたる。

戊辰戦争では副軍事奉行として籠城戦を指揮した。

明治維新後、左院の少議生、第一高等中学校教諭などを経て五高教授に赴任した。
五高の精神基礎となる「剛毅木訥近仁」(論語の句)を教え、

五高の校友会「龍南会」の名付け親でもある。

人格高潔、学徳兼備で教師・生徒を問わず尊敬された。

特にラフカディオ・ハーンは「先生は慈父のようである」と言い敬愛していた。