Dec 16, 2018 (Sun)

また八甲田山を見てしまった。

1902年1月 青森5連隊と弘前31連隊の雪中行軍隊

30人程度の1個小隊 弘前31連隊所属

指揮官は徳島大尉 高倉健

道案内を現地に詳しい猟師に依頼する。

水筒にブランディを入れると凍らない。

唐辛子を靴下に入れる。油紙を靴の中に

入れて水濡れを少しでも防ぐ。

少人数で指揮の下、全員無事踏破 帰営する。

 

210人の中隊(4個小隊に大隊本部) 

青森5連隊所属 指揮官は神田大尉 北大路欣也

しかし大隊本部がおせっかいにもついて来る

大隊長 少佐 三国連太郎

ここに指揮権が明確に一元化されないことによる

悲劇の萌芽がある。

道案内を拒否する三国・・・ もう絶望的・・

三国を立てつつ、全体を導かねばならない神田大尉。

編成も準備も 案内人も・・・不備すぎる。

台風並みの吹雪(風速29M)

気温零下22度  方向を見失う。600Mの距離を

15時間も掛けて進む。 天候の急変 装備品 その他

沢山の錯誤があったらしい。 編成が大きすぎて、

神田大尉の一元的な指揮が出来なかった。

出しゃばりの大隊長の罪は重い。

210名中 生存者11名(内6名は救出後死亡)

 

別件

高倉健さんの制服姿は

本物だと分かった。

高倉健は年を経るにつれて

ストイックで益々謙虚になっていった由

また、その人に丁度良い品を

絶妙のタイミングで さりげなく贈る

ことの出来る稀有な人と分かった。

棺の蓋が覆われた時、健さんの

偉大さが伝わってくる。


撮影時、照明さん、音声さんが

忙しく立ち働いている時は

健さんは決して座ろうとしなかった。

動乱 2・26に取材した宮城大尉とか

鉄道員の駅長、八甲田山の徳島大尉

のイメージに重なる。

八甲田山完成まで足掛け3年もかかったので

健さんは京都の土地とハワイのコンドミニアムも

手放した由 他の仕事を受けなかったから・・

なんという律義さ だろうか・・

 

文中で見つけた漢熟語

健さんの座右の銘であったらしい。

 

四耐四不訣 

(清の曽国藩の言葉 軍人・政治家)

世界史では習うが、この言葉は初めて聞いた。

 

冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え

激せず 躁がず 競わず 随わず

以って 大事を為すべし

 

寒青(中国語 冬の松)

どんなに厳しい状況下でも生き生きと

している姿を松に見ている・・