Nov 11, 2018 (Sun)
凡そ世の中に役立たない話が大好きである。
京都の畏友 M君とか、高校同期のこれもM君・Y君とか
限られた学年でしか盛り上がらない。
月給取りと呼ばれる階層は戦前のホワイトカラーだった。
仮に昭和15年 1940年にいたとしよう。
陸軍士官学校を出て少尉に任官したら
(海軍兵学校を出て少尉も同値)
初任給は70円 で、年収では期末の賞与を入れて
約1、000円。 現在の物価を考え、旧1円=3,000円
とすれば、年収は300万円となる。
しかし、軍関係の学校に行くのは、当時やや貧しい出自の
階層が大半だった。
卒業して将校に任官すると、装備は全て
自前となる。 下士官・兵は官給品ですべて揃えるのと対照的
Government Issue (官給品の中には Zippo まで支給するのが米軍)
日本軍将校自前の装備品
軍刀 700円
双眼鏡 200円
外套 100円
仕立て軍服、軍靴、トランク などなど
総計で2000円くらい(現在の物価で600万円)の
借金を背負って、連隊に配属される。
(法科大学院の学費などで600万円借金するのと似ている)
一方、帝国大学を卒業して、仮にM物産に
就職した男は、初任給60円程度でも、年収で
すでに1,500円 で、すぐに2、000円に達する。
当時は背広が全て仕立て、月給2か月分として 120円
靴とかを入れて200円程度で所謂月給取り生活が
スタートする。 彼らの出自は一般的にはUPPER MIDDLE
で、恵まれていた。
その意味で軍人は
中尉で80円~90円 大尉でやっと100円
(偕行社から借金を完済するのが大尉任官の辺り、
給与から月々15円返済しても11年はかかる計算)
平和時に於ける昇級は緩やかで、月給も中々上がらない。
軍人による階級闘争が、戦争の裏面史にあったのかも知れない。
戦争中は階級も早く上がり、外地に行くと海外加俸で俸給が倍にもなる。
仮に海軍の軍艦が5月30日に呉を出港して6月7日に帰港すると
将兵共に2か月分の給与が加算される。航海手当。
9日間でも2か月分とカウントするのだ。