日々考えるさま

流石に聖書を学ばれておられる方の言葉ですね。

聖書を通じて神を イエス様を救世主として受けいれるのが
一般的にキリスト教徒だと思います。

様々な弾圧の後 西洋のエートスを築き上げたのは


神の愛を説く キリスト教だと言っても過言ではありません。

もちろん ご存知の通り、残虐な十字軍の戦い
宗教戦争 異端審問 魔女狩り 植民地争奪
侵略戦争 など 神の愛と 真逆な歴史を歩んできたのも
事実です。


>イエス様は、人間でした。
>
>たしかに、神様のような働きをしていましたが、

肉体をもった人間でした。

>だから、捕まれば、捕まるしかないし、

 叩かれれば、叩かれるしかなかったのだと。
>
>神様は、目に見えない存在です。
>
>だから、この世界で働きかけるときは、

目に見えるものを通して働きます。
>そして、人に何かを伝えるためには、肉体が必要です。


>だから、ふさわしい人を選んで、神様の言葉を伝えさせました。
>ナザレのイエス様もその一人です。
>しかし、他の預言者とは違って、救い主である

三位一体のうちの御子が直接働きかけました。


>だから、聖書にはイエス様がお話になっている箇所と、

御子がお話になっている箇所があります。
>
>牧師先生は、十字架は絶対予定ではなかった。とおっしゃいます。
>相対予定だったと。

>つまり、旧約聖書にあるように、待っていたユダヤ民族が

受け入れていたなら、栄光の主として、もっと長い間、

その肉体の寿命が終わるその時まで、福音を愛する弟子とともに伝えられたはずです。
>
>どれほど悔しかったでしょうか。
>
>時代が受け入れなくて、でも救いのためにきたから、

自分の命を差し出して、あがないとしたのです。
>
>先生は、十字架を見ると本当に辛くなる。とおっしゃいます。

 引用させて頂いた文章は 僕には 新鮮に映ります。


仮に最後の審判の日が 来たとしても
僕は 淡々と 日記を書き ブログを書き
行きつけのスナックで Beatles でも 歌っていましょう。

神に選ばれなくても 天国に行けなくても

この地上こそが 天国だと 思います。

  
無理して欲望にまみれなくても

 
自分の住まいする街で 仲間と


楽しく 質朴な人生を 送っていると


僕は 言える 自信がある。

I am proud what I am.

明日は 24時間勤務
金曜日にまた お会いしましょう。

Have a nice dream

Good evening, and Good night

Pudding