マイケル・サンデル教授のハーバード白熱教室、ハッキリ言って面白い。

途中でロジカルコンフューズを起こして頭が爆発しそうになるが、自分が求めていたのはまさにこの世界だったっけ、と思い出させてくれる。

なんたって、小学3年生の下校途中、駅のホームのベンチに一人佇み、「人生は虚しい」と、ひとりごちた、勘違いなマセガキだったからなぁ。

考え悩むことの煩わしさに嫌気がさし、いつからかアバウトで、いい加減で、適当な道を選んでしまい、哲学とはかけ離れた人生を歩んでしまったわけだが、あの時、もし逃げずに真摯に様々な疑問と向き合って生きて来たら、今頃は自分も哲学者の端くれにでもなれていたのだろうか?


いや、そりゃないな。
その前に自殺でもしてるのが関の山。

思考のラビリンスに耐えきれないことを自ら悟ったからこそ、アバウト街道に歩を進めたのだろう。


それにしても、と、つくづく思う。


哲学者とまでは言わないが、もうわずかでも多くの人が、人生や森羅万象に疑問を持ち、自分の狭量な価値観が本当に正しいのかどうか、常に問いかける作業をすることができれば、もう少し世の中はマシになるはずなのに、と。


テレビや何かで聞いたようなステレオタイプな論理や価値観を自信満々に語る人を見るにつけ、「本当にそれが正しいと、あなたはどこで確証を獲たのか。それが間違いのない確証だとなぜ言えるのか?」と、いつも思う。


そこにあるのは、浅はかな知識のみに支配され、謙虚さを忘れた高慢な人間の姿。

だから争いが絶えないのだ、とも思う。

重要なのは、他者の事だけではなく、それ以上に常に自分に対して疑問を持ち続け、考え続けることなのでは?



逆説的になってしまうかもしれないが、では、ハーバードで哲学を学んだからといって、人として価値が高いと言えるのか?
必ずしもそうではない。

物言わず、黙々と生きる市井の人の中にも、頭でっかちな学問を超えたところで崇高な人生を生きる人がいたりする。

だからこそ人間は興味深く、人生は面白い、と言えるのではないか。



あ~、それにしても。

勉強不足。
ボキャブラリーの貧困。

言いたいことの一割も言えていない自分が歯痒い。


今から、ハーバード目指すか!?

中国で行われているアジア大会のサッカー(U-21)会場で、視察に訪れた代表のザッケローニ監督が、事前に話が出来ていたにもかかわらず、当日急にVIP席に入ることを拒絶されたそうだ。

危うく、反日感情丸出しの中国人サポーター席のすぐ隣にある一般日本人サポーター席で、危険に晒されながら観戦するハメになるところだったとか。

主催国・中国による明らかな嫌がらせだ。


そんなもん、それこそ国際問題にしてしまえ、って話じゃないの!?


国際サッカーの世界では、ゲームが原因で本当の戦争に発展したり、実際の戦争後に代理戦争としてサッカーが使われたりすることさえある。

成績の悪いチームをサポーターが口汚く罵るのも然り、W杯予選でアウェーのチームに練習場をすんなり借さない子供じみた嫌がらせ然り。
そんな、サッカー界における欧米の常識、国際的な常識なんかクソ喰らえだ!

戦後60有余年、未だ戦争後遺症の残る日本では、欧米の常識・文化であれば無条件にひれ伏し、受け入れてしまう悪い癖がある。


堂々と言って欲しい。

「我々はそんな悪しき慣習には迎合しない。選手にもプレー中のマリーシア(ずる賢さ)など求めない。たとえ全ての国に笑われようと、あらゆる場面においてフェアプレーに徹する」

そして、

「欧米の価値観を否定し、独自路線を歩もうとしている中国が、なぜサッカーの世界でそのマネをするのか。アジアの国として恥ずべき行為である」と。


・・・ここまで言うと、国際情勢の話にまで話が及び、反論を想定して朝まで書き連ねなければならないが、それはまたの機会に。

今回はあくまでサッカーの話に留めておきたい。


肝心の試合の方は3-0で中国に完勝。
だからといって「ざまあ見ろ」とは思わない。


念のため言っておくけど、私、思想的にはライトでもレフトでもなく、センターに属しておりますので、誤解なきよう。

千葉市の動物公園で、動物の仮装をした来場者は入場無料、その仮装スタイルを競うコンテストのような催しが行われたそうだ。

ニュース映像で、そこに登場した子供達の笑顔を見ていたら、本当に幸せな気持ちになった。

なぜあんなに子供達の笑顔は人の心を癒やすんだろう?



自分は甲斐性なしでだらしない上に、「芸能人と結婚する」なんて戯けた事を言って、素人女には目もくれず(実際は目もくれられなかった:泣)業界に入ったはいいが、うっかりハゲてしまった為にそのチャンスも失ってしまったが、正直、子供が欲しかった。


実際、所帯持ちからは、子育ての並々ならぬ苦労や、「可愛いのはほんの数年だし、責任がない場所から見てるからそう思うんだ」と言われたりもする。

だが、それでも・・・と思う。


かくなる上は、近所や通りすがりの子供にでも余計な世話を焼いてあげたりしたいと思って近づけば、その母親から、まるで誘拐犯か変態を見るような白い目で睨みつけられ、我が子を腕にかくまうような仕草をされて哀しい思いをする。


DNAに傷を持っているとしか思えない末期的な心の病を持った異常人間が世の中に溢れている昨今ゆえ、自らの姿形を鏡に映してみれば、母親のそんな反応さえ責めることなどできない。


せめて、テレビ画面に映る子供達の無邪気な姿を見て、理由のわからない涙を流すのがせいぜい、となるわけだ。


自分のことではないが、それにしても天は理不尽なことをする。

鬼畜生以下の子育てしかできない親のもとへ、不幸を背負うことがわかりきっている子供を何人も誕生させておいて、本当に子供を望む立派な夫婦にはそれが叶わない皮肉な運命を与えたりするのだから。


ひょっとして、俺に子供を与えなかったのも天の意地悪か!?

なになに?「その前に嫁だろ?」ってか。

ごもっとも。