コラム : 失敗なのか学びなのか
実家を出てからの数年間、
母親がもしその全てを知ったならば
きっと卒倒するだろうと思います。
「貴方の為を思って」にかこつけた
母親自身の世間体を
あれも、これも、それも、
ありとあらゆる危険を排除することで
脅かされないようにというのが
教育スタイルだったように思います故。
だからこそ、母親の感覚でいう“危険”に
どしどしと歩みを進めてきたこの数年を
母親が知ったならば、
発狂するか卒倒するかなのではなかろうかと
思うのです。
確かに“やめておきなさい”という理由も
失敗したからこそ成る程と
理解したこともあります。
しかし、失敗したからこそ
自力でなんとかせねば、
自分で始末せねば、と
サバイヴする術を学び身につけました。
きっと危険の全てを排除し、守られるなら
確かに安全だとは思います。
でも、それじゃあきっと、
何も出来ないだけでなく
自分の人生ですらないのではなかろうかと
思うのです。
転けるから怪我をする。
でも怪我をしたとてカサブタになって
ほんの少しの痒さを過ぎれば
傷口は治っている。
骨が折れたとて、痛みや不自由さはあれど
いずれくっついて治る。
治る程度の怪我ならば、
怪我をしてみてもいいのではなかろうか。
怪我の功名の真髄は
実際に怪我をせねば分からぬもの。
泥だらけになった方が
免疫も上がると言います。
そう考えたならば、
トラブルは自分を磨くチャンスであり
時にどの程度のものかを測るテストであり
実際どうかのかを示す
成績表なのかもしれません。
大人だろうが子どもだろうが、
失敗出来ることが実は人生を焙煎するのでは
なかろうかと思う今日この頃です。
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