​テーマ:想像出来るから叶うのかもしれないってハナシ

 

昨日に引き続きアファメーションネタというか、

「ほんまに実現するのか?」みたいなことの

話を綴ってみようかなぁと思います。

 

アファメーション(完了形での願い事)を

する時に、心のどこかで

“そうは言ってもほんまに叶うんかいな”

ってちょっと疑いたくなっちゃうこと、

ありませんか?

“こんなことで叶うなら苦労しない”って

思うっていうか。

そうは思うけど、ネットやYouTubeなどで

アファメーションに関するコンテンツを見ると

「疑ってはいけません。」

みたいなことが書いてある。

いや、無理じゃない?逆に無理じゃない?

なんて思ったりしますよね。

 

それを言われると、

【疑っちゃう時点で

ゲームオーバーです】

って言われているような気持ちにもなるし、

疑う気持ちと願う気持ちって共存出来ひんやん

って思うから

そもそもアファメーションしたって意味なくない?

になっちゃうと思うんです。

 

こんなことを言ったら

元も子もないかもしれませんが、

ワタシの個人的な捉え方として

アファメーションの意義とか意味って

「いかに自分のモチベを

上げるか」

なんじゃないかなって

ちょっと思ったりもするんです。

 

“ああなってたらいいな”

“こうなってたらいいな”

未来の幸せな顔してる自分を思い浮かべたら

今が例えどんな状況やったとしても

幸せやぁって笑ってる自分の顔見たら

“今の自分、よう頑張ってるやん”

って思える。

 

自分をちょっとかもしれへんけど

褒めてやれる気がしませんか?

ちょっとだけかもしれないけど、でも

自分に「頑張ってるね」って

声をかけてあげられたのなら、

もうちょっとだけ頑張れるような

気がしてきたりもするし、

逆にちょっとだけ休憩するのもいいかも

って思うかもしれない。

「今、自分はどうしたい?」

って声に耳を傾けてやれる。

そういう自分の中に「余白」というか

「空間」を作る作業だったりする

側面もアファメーションにはあるのかなぁ

なんて思ったりもします。

 

いつぞやどこかで聞いてハッとしたことが

ありました。

「大統領になりたいって思いますか?

大統領になっているご自身を想像できますか?

できない方が多いと思います。

想像できないからこそ、

なる可能性はないに限りなく等しくなる。」

といったニュアンスだったような気がします。

確かに、って思いました。

すごく身近な例を出してみたいと思います。

欲しいお洋服があったとして、

そのお洋服を着ている自分って

想像できますよね。

だからこそ実際に買って

着ることだってできる。

なんていうか、自分が普段着ている姿が

想像出来るお洋服って

購買意欲湧きませんか?

想像出来るから「在る」ことを

当たり前だと思えるからなのではないでしょうか?

なんて思ったりします。

 

それらを踏まえた上で、

「よう頑張ったね」って言えてほんの少し

軽い気持ちになれた自分で

想像出来た「幸せそうな自分」。

もし、その自分に会えて

インタビュー出来るとしたら

なんて聞いてみますか?

 

「長い間頑張って来られたと思います。

遂に迎えたこの日、

今どんなお気持ちでしょうか?」

「今日のこの景色を見て、色々と込み上げてくる

過去があると思います。

あの時1番しんどかったなぁ

と思う瞬間はいつでしたか?」

「今日という日を迎えられたのは、やはり

辛かった日々を乗り越えたあなたがいたからこそ

だと思います。

そんな過去の頑張っているあなたに今、あなたが

声をかけて差し上げるなら

なんて声をかけて差し上げますか?」

etc.

野球のヒーローインタビューのような

オリンピックでメダルを獲得した時のような

そんなインタビューを出来たとしたら、

皆様はなんと答えるでしょうか?

 

もしかしたら、このインタビューを想像した後

アファメーションに加えたい内容が

増えるかもしれません。

ぜひ、追加してみてください。

そして、いつもよりほんのちょっと幸せな

気持ちでいつもよりほんのちょっとでも

ゆっくりほかほかな睡眠をお楽しみください。

睡眠時間は記憶の定着と整理の時間です。

願うという瞬間が記憶になる

記憶になるから定着する

定着するからデジャブになる

のではないか、なんて考えた

牡牛座新月の今日この頃でした。