​テーマ:一般的に褒められることが息苦しくなることだってあるよねってハナシ


私が勉強を頑張った理由。

家を出る為。

ただそれだけでした。


中途半端なレベルの大学なら

実家暮らし・地元の大学でいいじゃないか

というのが専門卒の両親の考えでした。


勉強以外に何か秀でるものがあれば

もしかしたらその道で頑張って結果を残して

家を出るという選択肢もあったのかもしれません。


でも私には何もなかった。

平凡中の平凡。

得意なことがあったとしても、

家を出れるほどの実績があるわけでもないし

挑戦したいと思っても

「あなたになれるはずがない」

と否定的で、挑戦出来ることも出来なかった。


残された手段が勉強“しか”なかった。

幸いにも勉強がちょっとだけ好きだった。

ぶっちゃけ勉強も平凡の中の平凡でしたし、

高校の成績表も体育と美術以外は

クラス順位の下から2番目か底辺。

それでもワタシにとって勉強は

狂ってやればなんとか成績が伴ってきてくれる

可能性が残されていた分野だったんです。


だから家を出るために残された選択肢が

勉強する“しか”なかったんです。


高校を卒業してからの1年、

勉強に狂いました。

全ては色んな意味での現実逃避の為に。

正直あんまり当時の記憶はなくて、

きっと何者かに取り憑かれていたんだろう

と思うほどです。

今同じことをやれと言われても

出来る気がしません(笑)


そして、なんとかやっとのことで

かつ

何かよく分からない奇跡が起こって

平凡な負け犬が家を出るという勝利を

勝ち取りました。


でも大学を卒業してから、

厳密にいうと在学中から

「〇〇大学?すごいね」

なんて言われる言葉が辛かったんです。

スクールブランド=頭がいい

みたいなイメージがしんどかったんです。


確かに勉強が出来る方は多くいました。

賢い方はいっぱいいました。


でもワタシは頭が良かったわけでもなければ

賢い訳でもない。

どちらかというと要領も悪いし、

生きることが下手でした。


世間一般が思うような「凄い人間」じゃないのに

あたかもそうかのように思われるし、

話の入り口が大学のイメージから入られて

1人の人間としてのワタシよりも

「〇〇大学の人」みたいな色眼鏡が

自分の中では違和感と乖離感で

気持ち悪かったんです。


自分自身が狂えたことは自分でも頑張ったな

って素直に認められる点はあるんですけど、

でも「だからなんなん?」とも思っちゃうんです。

「いい大学出たからなんなん?で?」って。

いい大学出たからって人間性が高いかを

測る物差しにはならないしって。

だからいかに渋い人生を生きるか、

いかに深みのある人間になるか

みたいなことを考えてました。


冷静にこの記事を執筆しながら、

我ながら相当捻くれてるし

拗らせてる

思います(笑)


ある意味学歴コンプレックスなんだと思います。

見方によっては自己肯定感が

低いのかもしれません。

でも「そんなすごくも偉くもないぞ?!」

が強いというか…。


うーん、今日も今日とてまとまりません(笑)


結局隣の芝は青く見えるじゃないですけど、

ないものねだりなところがあるのかもしれません。

どう生き方をしたって、どの道を選んだって、

その道その道それぞれに苦労も努力もあるし

結果論“みんなそれぞれ頑張っててみんな偉い”

なんだと思うんです。


残念ながら自分という人間は1人しかいないから

他の人が挑戦している道を歩んでみようと思っても

限界があります。

そういう違和感だったり現実の、リアルな

「ワタシ」という人間との間のギャップに

悩んだからこそ

人には人の、それぞれの悩みがあって苦しさがある

ということを念頭に置いて生きよう、

そうしたら少しは渋い人生を歩むことに近づいて

自分自身の中のギャップという概念に対しての

落とし所をつけられるのかなあ

なんて思ったりします。


…知らんけど(笑)

ま、まだ20年そこらしか生きてないんで

分からないです。

その答えはもっと生きて掴むしかないですね。






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