(昨日のブログの続きです。)


病院に働き始めて2年、

家を購入し、

長女が4歳になる年に

働きながら

次女を出産しました。27歳の時でした。


いつ入院してもいいように、

準備はしていて、

出産日まで厨房で働きました。


出産後は、産休をとるつもりで

献立も頑張ってたてて、註文も

地元の業者さんに頼んで

準備していたのですが・・・


出産後、実家にいたら、

実家にまで職場の人が来て

「お願いだから早く復帰して」とのこと。


私がいないともめるからと。


毎日入れ替わり人が実家に来て

それぞれ文句を言うので


「・・・しょうがない・・・」産後2週間

復帰しました。

実は、次女先天性の心臓病

声も出ず、ショックでしたし、


長女

幼稚園へ通いはじめる

環境の変化と次女が産まれて

急に自分が構われなくなったからか、

頭に1円玉くらいの円形脱毛症が。


でも長女は、

「ママ、おしごと頑張ってね。私も頑張るから。」

と毎日言ってくれました。


愛情不足、ストレスを感じていたのでしょうね。

頭に見つけたときはすごくショックでした。

こんなに悩ませてしまってと。

すぐ治りましたが・・・

私も精神的に一番

参っていました・・・このころの写真、

今より老けてます(笑)


長女も次女も

良く手紙をくれました。


「おかあさん、おしごとしてくれて

ありがとう。」といつも書いてくれていました。


日々私は泣いていたんですけどね・・・


さらに、産前産後の立ち仕事で

足に静脈瘤ができました・・・。


また、この頃は・・・

「栄養」に関して誰も興味がなく・・・


今は健康志向が強くなり、

「栄養」に関しても関心がある時代ですが、

当時(25年前)は

医者も栄養学とか重視していなくて


栄養士って地位が低く

意見を言っても

ほとんど聞いてもらえなかったです。


早朝会議で

「うちの病院は管理栄養士でないと」

嫌味をいわれ、

当時栄養士の資格しかなかった私は、


「じゃ、管理栄養士の資格、取ります!!

宣言ました。


自力で

一生で一番勉強しました。

当時14科目あり、

(管理栄養士過程の人は6科目くらい免除)

合格率が

14科目受験の人は10%なかったと思います。

(全体でも30%以下でした)


男の子

「どうせ受かるわけない」と、

ありえないことですが

前日に人を連れてきて

「飯!」と。


男の子恨みましたが、

まあ、受かったのでいいです・・・。


怒りのパワーでしょうか(笑)


(夫は昔はよく

人を家にたくさん呼んで

飲むのが好きでした。

私も若かったからできていたのかな~)


・・・合格したときは、

みんな喜んでくれましたが、


会議の時も含めて

ナースセンターでも

いろいろ意見を言いましたし、


当時職員の給食も作っていたのですが、

マナーの悪い人がいて

(食べた後、自分の食べた食器を

洗うということをお願いしていた。)

食器を洗わなかったので、

食器に名前を書くということになったり・・・

ということも。


良くもめました・・・。


最後やめようと思った大きなことは、


いろいろ患者さんのためにしていた

サービス

喜ばれていたことを

やめようということが決まったからです・・・


自分が日々頑張ってきたことが

全否定されたような気がしました。


・・・ちょうどその頃、


同じ病院を辞めて

独立して小さな医院を開業された

ドクターがいて、


最初は、外来だけだったのですが


入院も始めることになり、

給食もすることに。


そのドクターは、

私の働きぶりを知ってて

評価してくれていたので


…ほんとに

すごく悩みましたが・・・


(病院同士、ライバルになるし、

裏切り行為になるかと・・・)


病院を変わることにしました


男の子に相談したら

「俺に相談するな!!

といわれました。


ちなみに夫男の子

家で私が泣いたり、

話を聞いてもらおうとすることを

嫌がり、

「家庭に仕事は持ち込むな」というし、


家を建てるときも

全部私が手続きから設計まで

かかわって、

男の子は一切かかわりませんでした。


なので

お金のことで揉めても

「お前が勝手に建てたんじゃろ?」と。


家のローンのためにも

仕事は辞められません。


ちなみに家を建てたときは

金利が一番高いときで・・・

借り換えもしました。


損ばかりしました(笑)


転職先は、同じ市内、

もとの病院から近いところです。

(現在1km以内)


今度の院長は、

「職員はみんな同じ」

ということで、

清掃のおばちゃんのミーティングにも

院長自ら参加して話を聞いていました。


私たちも

どんどん意見を出していきました。


今度の調理をする方たちは

個人の能力が高く、

院長のためにとすごくよく働き、

いろんな意見を出し

調理も勉強家でした。


私もついていくのに必死なくらい。


手際もよく、

みんな働き者で

毎日厨房がピカピカキラキラでした。


毎日換気扇の掃除をしたり、

毎日排水溝の掃除もするのですが、

順番で私もやりました


院長が


「コーゲさん、うちだけにしかない

ことをしてほしい。」といわれ、

手作りのパン作りをすることに。


大変でした。


人参パンやカボチャパン、ヨモギパン

などの野菜のパンから

総菜パンまで

10種類以上、朝のバイキングで

出しました。


またプロフィールにも出していますが、

子どもが夏休みの時に

大阪の辻調

西洋料理と日本料理を

直接カリスマ教授たちから学んだり

朝食については、

「世界一の朝食」を出していた

神戸の北野ホテルにも宿泊見学に行きました。


そんな取り組みを

たくさんの人に知ってもらうために

「給食だより」も作り、外来において

宣伝しました。(ネットもない時代・・・)


そんなことをして、

5年で私は辞めることになるのですが、


その5年で

分娩数が年間1000件以上の医院に

なっていました。

病室が増え、

どんどん建て増しをし、大きくなっていきました。


小さな医院病院になりました。


それは平成に入ってから

全国で初めての快挙でした。


分娩数が年間1000件以上の病院は、

全国でも大学病院でも少ないのです。


一番多いときは、

年間1300件くらいあったと思います。


すごく忙しかったです。


朝から晩まで働きました・・・が

体に異変が・・・


大きな子宮筋腫ができていました。


手術をしてホルモンのバランスが崩れ、

体重も増えました。


その頃、

新しい病院の建設・移転の時でした。

職員も増えました。


私は自分の健康が大事と思いました。


また家族に対しても

おろそかでした。


いったん仕事を辞めて

ゆっくりしてから

(家のローンがあるので)

仕事を見つけようと思って

いましたが、


友達が

「事業所給食は楽みたいよ。

土日祭日が休みだし。」

というのに

惹かれました。


というのも、

今まで休みが不定期だったからです。


職安に求人が出ていたので

話を聞いてみることに・・・


そしたら、

「すぐ働いてくれ」と言われました。


まだその時は

辞表は出していて

受理されていましたが、

まだ前の仕事を辞めていなかったのです。


ゆっくり休んでから…というのがなく

結局

前の仕事を辞めた翌日

今の職場に・・・。


「すぐ働いてくれ」の意味が

わかりました。


前任の栄養士さんが辞めていたからです。

「またか~」

引き継ぎなしです。


しかもその方、

献立を全部、PCから削除していました。


もう10年経つからいいか~、

書きますけど、


私ほんとに即やめようと思いましたもん。


でもなんだかんだ

10年以上経ってます。


続いているのは、

最初に企業の担当の方が、

「コーゲさんらしさを出してください」と言ってくれたからです。


以前勤めていた

病院のことを知ってくださっていたからです。


また、

企業の社員の方も

新しいことをすると

喜んでくださったからです。


そして、

毎日職場で揉めますが、

一緒に働いてくれる人も

協力してくれるからです。


いろんな出会いもありました。


(ままいくこさんとも

出会って

イベントも一緒にしましたね・・・。)


幸せだなあ~と思います。


ちなみに

最初に勤めていた病院では、


元一緒に働いていた人や

看護師さんから

「あの時は良かったね~」

なつかしくいってくれたり、

「よく頑張ってたね~」と褒めてくれます。

(いたときにいってよ!みたいな。)


私が市の料理教室をしたときも

看護師さんたちが来てくれたり、


総師長さんのパーティーに

呼んでいただいて

院長先生や昔お世話になった方たちにも

会えて

前のわだかまりもとれました。


それどころか、すごく懐かしがっていただきました。


2番目の病院は

5年くらい前に

院長先生に市の行事で出会って

「ブログ、読んでるよ」って言っていただきました。

前の職場の人が

院長先生に教えたみたいです。


でも・・・今その院長先生は

いません・・・60歳という若さで

残念ながら

数年前に永眠されました・・・


いろいろありましたが、

私ずっと泣いてきましたが

大げんかしましたが


頑張ってきたことは、

みんなよくわかってくれてて


私が辞めてから、

私のこと理解してくれたことも

あったみたいです・・・。


けんかといっても

仕事のことですからね・・・。


今日もヨガに行きますが

そこでも一番最初の病院に

まだ勤めている看護師さんがいて

「戻っておいで~」って言ってくれます。


戻る気はないですが、

ちょっと話を聞くと


私がやめるきっかけになった

サービスの1つ

25年経った今も続いているそうです


今の人が頑張って続けてくれていると思うと

嬉しくなりました。


また最近

私が辞めたときに

職員の給食を出すのを

辞めたそうですが、

看護師さんたちの希望で

復活したそうです。


「ありがたい~」って言っていました。


時間はながれ、四半世紀・・・。


先日ネットで

全国の病院の分娩数ランキング

というものを発見し、

ランキングをみました。


さすがに少子化で

全体の分娩数も減っていますね・・・


でも私がいた病院2つあわせると

まだ年間1500件を超えてます。


2つを合わせると

全国でも20位以内に入っています。


私が住んでいる市は

人口5万人いないんですよ・・・


すごいことですよね・・・


激動の四半世紀でしたが

いいこともたくさんありました。


社員旅行では

両方の病院で

海外旅行に連れて行っていただき、

ハワイには10回くらい行かせていただきました。

シンガポール・ベトナムにも行きました。


次女の病気も

小児科の先生がいろいろ紹介してくれたりも。


全国でもない

新しい取り組みもたくさん・・・



いろいろ経験したことは

全部ありがたいことです。


今思うと素晴らしい病院に

いたなあ~

胸を張れます!!


また

男の子に対しての

考え方も最近

変わりました・・・


全然優しくないし、子育ても全然

非協力的でしたが、


何故か

娘たちは父親と仲が良いし、

私より夫男の子のことを良く知っています・・・。


私も

忙しくてもお弁当や日々料理を作るのも

厳しい夫のおかげでしょう。


男の子に今では感謝しています。


さて長々書きましたが・・・


これからの四半世紀、

私は挑戦しますよ。


新しいことに。


9月から

その挑戦を始めたいと思います~


よかったら、みててください。


50歳からでも

挑戦します!!(不安でいっぱいですが)



今日のおめざジュース





 
 
 
トマト(麗華)・人参・モロヘイヤ

生姜・酢卵・えごま油




 
 
 畑から、

モロヘイヤ、朝採りです。


ドロドロしてます(笑)



今日も美味しいジュースでしたドキドキ


私の使っている

コールドプレスジューサー

     ダウン画像クリック


  



昨日は、

車のエンジンがかからず、

大変でした。


どうにかして

(タクシー&夫の車)

職場へ。


今日は治ったので

マイカーで!


久々のヨガを楽しみに

今日は職場で

タルト作ります~。



❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤


私の電子書籍・紙の書籍(POD)発売中です。

   ダウン    

 


楽天kobo(PC電子書籍)

   ダウン



(レビューを書かれた方コチラ  

     料理の早見表をプレゼントします )


宜しくお願い致しますm(_ _ )m







今日は夫男の子

弁当がいらないそうです。