10月31日@自分の部屋:思索の森 | 思索の森

思索の森

「労働する思索家でないとダメ」という恩師の言葉は、自分の人生を生きていくうえでの、とても重要な意味を持っている。日々の想いを綴っていきます。

いよいよ今日で、10月もおしまい。

明日からは、11月になりますね。

そして、気づいてみれば今年もあと2カ月になりました。

今回、国際会議という場に行ってきて多くのことを感じてきました。

・英語をコミュニケーションツールとして扱えないとお話にならない
 英語をできて初めて、スタートラインに立つことができる
 自分自身の無力感を痛切に感じました。

・政治的なカードとしての交渉
 それぞれの国は、自分自身の国益を守るための意思決定しかなしない 
 ユースわくというものができたとしても本当の解決にはならない 
 1つのきっかけにはなった

・友だちというもののありがたさ
 名古屋で働いている大学時代の仲間に、2人あった
 それぞれ社会の現実にぶつかっていて、この社会を変えていきたいととより実感した
 今の社会では、会社の駒としての行き方しかできにくい
 自分自身で動きだしたくても、選択肢がない
 社会人として、企業に入って安定な暮らしができることが慣習になっている
 しかしながら、そういった行き方が全てではない
 
・自分自身で生みだしていきたい
 起業したいという想い
 自分が本当に何をやりたいのかということ

・今の日本人は平和ボケしてしまっている
 社会人として2人と集まってみて、
 どんな話をすることが多かっただろうか??
 結局は、会社でどんな立場にいて、
 仕事内容がどうだとか、人間関係がどうだとか、
 自分がやりたいことができていないだとか、
 仕事を中心とした話になってしまう
 日本人は、もっとクーデターを起すくらいの、
 哲学や想い、志を持って生きていかないといけない
 ユースである自分たちがもっと頑張らないといけない
 
・まじめすぎる
 バーに友だちと入って、
 隣に座っているおじさんに言われた言葉
 自分自身でも実感していることであるが、
 なかなか自分自身で脱皮することができていないでいる
 いい人過ぎて苦労するとも…
 そうはいっても、社会人だってなんだかんだ人である
 ビジネスマンだって人である
 組織だって、最小単位は人である
 自分という人間を知ってもらうということが大切である
 自分はこういう人間ですという自分の売り込みをすることが大切
 そうして、信頼関係が生まれないと、商売なってできない
 相手に同意しつつ、自分自身の想いを伝える
 また、相手のことをもっと知らなくていはいけない
 自分で閉じこもるのではなく、もっと自分から発信していかないと
 自分の直感で想った事、感じたことはもっと相手に質問なり、
 何かりアクションとして、生きた反応をしなくてはいけない
 こじんまりするなということにもつながってくる
 
・すべてはお金がものをいう社会になってしまいっている
 目に見える価値にしか、目がいっていない

・今の社会における根本的な問題はないか

・スケールが大きい話をもっと多くの人とするということ
 地球の歴史について
 宇宙の話
 自分が関心を持っていることとしては、
 今の社会が今よりも良い世界になっていくためには、
 どういったことが必要になってくるか
 今の社会がよくなるためには、どうしたらいいか
 今の日本の社会について、経済について、政治についてなど、
 もっと身近な仕事の話よりもスケールの大きな話をしていくということ
 平和ボケしてしまっている人々には、
 ちいさい視野で、身近なものしか見えていない
 もっと鳥瞰的に見ていかないと

・国際会議の参加者の現実
 今回の会議が終わって、参加者が去って行った会場の殺伐とした感じ…
 あるボランティアスタッフの人が
 「これで本当に環境も守る会議なのか」というようなことがを放っていた
 まさに、そう通りであると感じたし、なんだかさみしくなった
 いくら世界的な会議であっても、自分自身の本当に身近なところ、 
 普段の生活において自然に優しい行動を取っているか
 いくら良いことを言っても、行動が伴っていないと、正直きれいごとで終ってしまう
 「Think Globally, Act Locally」ならむ、
 「Think earthlly, Act neally」というような、
 本当に自分のそばの環境から改善して行かないといけないと思う
 そういった普段の日常生活において必ずやっていることから、
 地球とともに生きている、自分たちは生かされているのだという謙虚な姿勢を持つことが必要である
 人間は、いきものをフラットな関係であり、むしろ依存しているのは人間である 
 人間は裸になること
 それくらいの姿勢を持つことが必要ではないかと思う