○心頭を滅却すれば、炎夏もまた涼し・・くない!
▼禅語「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」・・
心を静めて精神を統一すれば、たとえ火の中にあろうとも涼しさすら感じることができよう・・。
イヤ、無理じゃないですか・・・?
仏教語を超えて一般的なことわざとしても有名なフレーズですが、やせ我慢とか根性論とか、とかく精神主義的な成せば成るの論法として用いられることが多いかな? 元々の意味はちょっと違うんですが。
でも、近年の夏の異常な暑さに臨んでこの論法を採用せんとすれば、熱中症で救急搬送は必至のような気も致します。もう心の持ちようとか精神論でどうにかなるレベルを越えている、常軌を逸したここ数年の夏のこの酷暑。
令和に入った頃から夏の暑さは顕著に災害級の様相を呈してきたが、平成の頃にも漸進的に毎年毎年少~しずつ気温が上昇していったはずで。それに夏季に曇りと雨が少なく、雲一つないピーカンの炎天が続く期間も長くなっているように感じる。
( 雨が降る時は局地的・短期集中的にこちらも災害級の降り方をするケースが増え、地球温暖化は一様でない複雑な影響を大気に与えている。)
もっと時間を遡って昭和の頃は、暑いとは言ってもここまでではなかったようだ。だからこそ年配の方の「夏の認識」が昔日の感覚で止まってて、体力の条件もあって熱中症にかかるリスクが高いかもしれない。あと家計の状況で電気代を気にしたりね。老若男女問わず、冷房の積極使用とこまめな水分塩分の補給はもはや現代の夏のスタンダードである。
で、もっともっと時を遡りまして、江戸時代頃には今よりだいぶ冷涼だったと考えられています。冬には江戸でも川の流水が凍ったとあるし。夏でも暑いは暑いでしょうが、現在とは暑さの種類がちょいと違った模様。
今より樹木草葉の緑が多く人工物は少なかったから気温上昇は抑えられ、しかし江戸など大都市では人工物が多く水路・水道が整備されてたお陰で却って蒸し暑くて。冷房器具も現在と比べれば貧弱だから、とにかく蒸し暑さを避けて夏をやり過ごす庶民の知恵が育まれていました。
◇読売新聞 2025.7.26(土)朝刊
2面・詩歌句欄「四季」より
いざいなん江戸は涼みもむづかしき
・・一茶
【長谷川櫂:評注】・・
さあ立ち去ろう。江戸は夕涼みさえままならないのだから。一茶は五十歳で江戸を引き払って、故郷の信州柏原で借家住まいをはじめた。「涼みもむづかしき」とはいえ、長年世話になった江戸に未練がないわけではない。『一茶全集』から。
(引用終わり)
ああ、小林一茶もこんな句を残してましたか。一茶は信濃国(現在の長野県)生まれだったから、山地盆地では夏の一時期の昼の暑さの他は比較的冷涼だったでしょう。生地は豪雪地帯でもあったけど。10代で江戸に奉公に上がってそこで長く過ごしたけれど、江戸の夏の蒸し暑さにだけはどうしても慣れることができなかったご様子。
あと吉田兼好は『徒然草』で「家の作りようは夏を旨(むね)とすべし」って言ってますが、住み処の造作はとにかく暑い夏を過ごしやすくするのが肝心、と。なんだ、隠者文学者は総じて暑さに弱いのか・・?
「清談」で有名な古代中国の「竹林の七賢」ってぇのも居ますが、竹林も暑い時季の避暑地。隠遁者に限らず、生物には過度な暑さは大敵。人間文明もそれを避けようと知恵を絞ってきた。
けれどその生活の知恵にも限界があり、19世紀の半ばまで数百年間続いていた小氷期が終わった頃から、ちょうど人間社会で産業革命が始まった。化学物質による大気汚染と温室効果、都市部のヒートアイランド現象、森林伐採による砂漠化、予測不能の気候変動⋯。
幾つもの諸条件が重なって地球温暖化が進行している現代の世界。それ以前は温暖期と小寒冷期を繰り返しながらも、今ほどは暑くない気候が世界的に広がっていました。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」は、そんな時代の夏の過ごし方を詠んだ漢詩を基にした語であります。
○杜荀鶴の「心頭滅却」と禅語
杜荀鶴(とじゅんかく、846~904年)は中国晩唐の詩人。彼が悟空(ごくう)上人という禅僧を訪ねた時の七言絶句から。
▼「夏日悟空上人の院に題す」
三伏(さんぷく)、門を閉ざして一衲(いちのう)を披(ひ)す
兼ねて松竹の房廊(ぼうろう)を蔭(おお)う無し
安禅は必ずしも山水を須(もち)いず
心頭(/心中)を滅却(/滅得)すれば火自ずから涼し(/火も亦た涼し)
〖大意〗・・
夏の暑さの最も厳しい折、悟空上人は門を閉ざして一枚の僧衣をまとうのみである。加えて、影を作って建物を覆うような松竹もない。
静かに座禅するのに、必ずしも山中や水辺の景色・環境を要するわけではない。心を落ち着けて無念無想に至ったなら、夏の暑さにも涼しく過ごすことができるのだろう。
悟空上人、ちょっとタイムマシンで現代に来てここで座禅を組んでみて下さいな。千数百年前の気候環境で培われた覚悟を以てして、果たして現代の夏の暑さに耐えきれるや否や?!
そんな意地悪な企画も頭の片隅をよぎる、古今の夏事情の様変り。冷房機器ナシじゃ、とても集中して修行なんてできないと思いますが。
とはいえ、「心頭滅却すれば火もまた涼し」の元々は夏の暑さの処し方について述べたものだと分かります。精神統一でどうこうしようと思うくらい、昔は昔なりに暑がったんでしょう。
青春、朱夏、白秋、玄冬。青龍、朱雀、白虎、玄武。古代の東洋人も夏に「赤朱/南方/炎気」のエレメントを当て、燃え盛る熱い炎をイメージしていました。やっぱり夏は暑かったか。
杜荀鶴の時代からちょっと下って中国の宋代、『碧巌録(へきがんろく)』という禅宗の語録が編まれた。その中のエピソードの一つにこんなものがある。
洞山良价(とうざんりょうかい、807~869年)に他の僧が問う、「寒暑のない処はどんなところですか?(生きている以上は避けられない諸々の苦痛を、そう承知の上でどうやって避けますか?)」。洞山答えて曰く、「暑い時は暑さになりきり、寒い時は寒さになりきる」。
この禅の境地を説く逸話に、先の杜荀鶴の漢詩の転結句が引用されました。『碧巌録』は禅の古典として後代に読み継がれ、そのため禅僧にとって「心頭滅却火自から涼し」の語はとても有名になる。
「心頭滅却」は「心を滅する、心を無くす」と書くけど、無痛・無感覚になることではない。迷いや憂いを滅してしなやかな心で見つめれば、暑さを分別し遠ざけることなく単に暑さとして受け取り、淡然と過ごすことができる。
暑さを苦慮せず暑さと同化する、「暑い時節には暑さになりきる」。もしくは、「暑い暑い」と言いながらもその暑さと一体となり、自然の成り行きに任せて暑さの苦を受け流していく。
暑さを何とか避けようと頭を忙しく働かせ、その一事に心が囚われてしまって自在さを失うことこそが仏道修行の妨げとなる。心を定めるのに穏やかな山水は必ずしも要せず、気の持ちよう一つで寒暑もそのままの形で平気で受け入れることができるだろう・・・。
ムゥ、杜荀鶴や洞山良价たちも、まさか1200年後に地球環境がこんな風になっていようとは夢にも思わなんだに違いない・・。暑過ぎて、たとえ山水の中で座禅しようともお坊さんがバタバタ倒れそうな事態が出来しようとは・・・。
もちろん、現代の寺院の修行環境も気候の変化に合わせて柔軟に適応していってるとは思いますが。僧堂に冷房入れたり、熱中症の講習を設けて対策をとったり。でも、時代錯誤に昔ながらの伝統の規則方式を固守したりすると、マジで仏様が増えかねん。ここら辺は宗派を横断して対応されていることでしょう。
◇臨済宗妙心寺派「東京禅センター」HPより【心頭滅却】(杜荀鶴と『碧巌録』)・・
○快川和尚の「心頭滅却」
で、中国禅で広まった「滅却心頭火自涼」の語は禅宗の伝来と共に日本にも伝わり、そこで新たな逸話を生むことになります。
それが非常にインパクトのある使用例で、著名な戦国大名の一党の最期と重なることからも強烈な印象を後世に残しました。主役の名は快川紹喜(かいせんじょうき)、武田信玄に招かれた戦国期の臨済宗妙心寺派の禅僧です。
▼快川紹喜(かいせんじょうき、1502?~1582年)・・
美濃国生まれ。禅門に入り美濃の崇福寺や京の妙心寺で修行を重ねる。甲斐国の武田信玄の招きで恵林寺(えりんじ)に入山し、一度目は1年で辞するが信玄の熱心な招聘に応えて1564年に再び恵林寺に住する。
信玄の信頼篤く厚遇を受け甲州に禅風を広めるとともに、快川の人徳と知恵を活かして周辺地域との外交役も担った。武田軍団の旗印「風林火山」の文字は、『孫子』兵法の一節を取り快川が揮毫したと伝えられている。
しかし戦国最強とも言われた信玄は1571年に征西の途上で没し、快川は後を継いだ勝頼の師・相談役となって巨星を失った武田氏を支えた。
だがその頃、織田信長が急速に勢力を拡大して武田氏と熾烈な戦いを繰り広げ、75年の長篠の戦いで敗れた武田方は劣勢に陥る。そして82年、天目山の戦いで勝頼が自刃してついに戦国武田氏は滅んだ。
信長は甲斐を支配下に置き、高名な快川国師を自分のもとに招こうとしたが快川はこれをきっぱりと断る。更に信長に敵対する勢力の人間を恵林寺が匿い、怒った信長は軍勢を差し向けて寺山を包囲した。
恵林寺にいた僧俗の百人ほどが山門の楼上に追い立てられ、信長軍は下手から火を放って寺院を焼き討ちにした。四方を火と軍勢に囲まれて逃げ場なく、恵林寺の人々は迫り来る猛火に死を覚悟する。
快川は居並ぶ門弟達に向かい、「この機に臨んで仏法にかなう心境をどう得たか、端的に表してみよ」と投げかけた。弟子達がそれぞれの見解を短い言葉で示していき、最後に快川が発したのが杜荀鶴詩・『碧巌録』引用の転結句「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火も自ずから涼し」であった。
そして意を決し、炎に呑まれていく快川はじめ僧侶たち・・。「心頭滅却」の語は、自らの死を眼前になお決然として己の生き方を貫いた禅僧が残した誇り高い遺偈。この凄絶なエピソードは単なる処世術を超えて、生死の大事に処する覚悟を伝えるものである。
・・焼死しとるやないかい。
どんなに熱くても結果無事なら見事な覚悟の示し方なんだけれど、快川和尚たちはほぼ全滅。一番年若い僧侶だけはどうにか脱出させて、その人が快川らの最期の様子を周囲に伝えたようだ。
どんなに立派な最期でも、死んじまっちゃあオシマイよ。知りたいのは平気で死ぬる道じゃなくて、如何なる場合にも平気で生きてゆく処生術なんですよね~。
少っくなくとも、炎天下の日射しと人体に酷な炎暑を我慢して精神論で乗り切ろうとしてはいけません! もう精神一到や無念無想でどうにかなるもんじゃない、日本列島に逃げ場無し! 北海道で連日の35℃越え猛暑日、40℃到達目前! ってどうなっとんじゃいッ!!
どんなに厳しい修行を積んだお坊さんでも徳高い宗教者であっても、あまりの暑さに倒れる時は倒れますからね。むしろ頑強な肉体や壮健な精神に頼って無理を押すと、ギリギリまで粘って気張った結果パタッと倒れて重篤化、なんてことも。無理はいけませんよ、無理は。
◇臨済宗妙心寺HP「法話の窓」より【心頭滅却】(快川国師の故事)・・
◇臨済宗妙心寺派 恵林寺(山梨県甲州市)HP「恵林寺の歴史」より【快川国師】・・
○道元禅師の場合
そういや、禅の故事にはこんなのもありましたね。曹洞宗開祖の道元がまだ若い20代の頃、仏禅の真髄を求めて宋に渡った。そこで正師に巡り会って悟りを開くのであるが、その他にも様々な僧侶との出会いを通して禅の教示を得ていく。
ある時、一人の老いた典座(てんぞ=炊事係)が仕事をしている場面に行き合う。夏の暑い日差しの中、その老典座は仏殿の前で海藻を干していた。太陽が強く照りつけ、老典座の腰は大きく曲がり、汗を流しながら大変そうに作業を続けている。
見かねた道元は「あなたはもうお年なのだから、そんな大変な仕事は若い僧や寺男に任せたらどうですか」と声をかけた。すると老僧は、「他はこれ我にあらず(他の人がやったのでは自分がした事=修行にはならない)」と答えた。
重ねて「では、もっと涼しい時間帯になさってはいかがですか?」とすすめると、「更にいづれの時をか待たん(今やらずにいつするというのか)」と答えた。道元は何も言えなくなってしまったが、一つの大きな示唆を得たようだ。
「今、ここ、自己」。仏教でも特に禅宗が根本として大事にする考え方を、机上の空論ではなく日々の勤めの中で汗だくになって実践している一人の老僧の姿。そんな小さな出会いから禅の教えの一端を感じ取り、仏道修行の手がかりを掴んでいく若き道元。
日本曹洞宗の開宗にも関わる小さくない逸話であり、これも800年近く語り継がれてきた重要な禅の機縁。そう、この令和の酷暑時代に突入するまでは・・・。
今読むとアレですね、まず真っ先に老僧の熱中症・日射病を心配しちゃいますよね。周りの若いのは何やってんだと。道元も、強引にでも老典座を止めなきゃダメでしょうがよと。
海藻干しの作業は必須なんでしょう、日干しが望ましいらしい。しかも、そういった生活の細々した作業をこそ大切な修行と考える禅のこと、その仕事は老典座の大事なお役目。ならせめて、お日様が昇りきる前にやっちゃうとか、日除けの仮テントやシェード幕を立てて強い日差しを防ぐとか・・。何かあんだろう。
数百年前の大昔ならいざ知らず、今や夏の暑さはそれ単体で簡単に人命を奪いますからね。伝統だの矜持だの言ってられない、そもそも人の生を全うするのが仏の道の根本。無理を通して命の危機を招くなんて、お釈迦様も本意ではあるめェよと。
なので避暑対策は万全に、屋外作業には慎重に慎重を期した上で、それでもやらなきゃいけないことは「暑い暑い」と同僚と声を掛け合いながら休み休みこなすべし! あと、屋内で長時間座禅する場合も室温・湿度には十分ご注意を!
風狂の禅僧・一休宗純は死に際に「死にとうない!」と言って果てたという。あと江戸時代後期の仙厓義梵(せんがいぎぼん)和尚も臨終の床で同じ事を言ってたとか。けっこう言ってるな禅の高僧。
その心を借りれば、暑い最中には「ええぃ、暑いわっ!」と文句を言いながら暑がってれば、それはそれで仏の道には添うているのではないだろうか。何を偽っているで無し。
心が定まってようが定まってなかろうが、修行が成ってようが足りてなかろうが、暑いもんは暑いんだから。適切に冷房を使って適宜水分補給して、その上でエゴやら貪慾やら分別やらを滅する道を探りましょうよ~。
ちなみに日本曹洞宗の開祖が道元禅師で、その源流たる中国曹洞宗の開祖が先の洞山良价。なんだ、夏の暑さをちょっと軽視してるぞ曹洞宗の祖師たち・・・。
◇曹洞宗「曹洞禅ネット」より
【道元禅師入宋後の2人の老典座との出会い】・・
◇『マンガ禅の思想』講談社+α文庫
▼「心頭を滅却すれば」より・・
学問僧が洞山和尚に問うた。「寒暑が到来した時、どう回避すればよいのですか?」。
洞山「どうしておまえは、寒暑のない所へ行かないのか?」
学問僧「そこなら寒くもなく、暑くもない所なんですね」
洞山「寒い時は、おまえ自身、徹底して酷寒と化す。暑い時は、徹底して酷暑と化すのだ!」
〖欄外解説〗・・
人生には寒さと暑さ、順境と逆境がある。自分を寒暑と化してそれと対立しないようにすれば、寒暑は消え去ってしまうのさ。自然環境に対峙するのではなく、一体化することによって事態の解決に当たること、自己の置かれた環境になりきることである。
(引用終わり)
いや~、生にまつわる労苦への一体化が、近年いよいよ難しいってェ話なんですがね・・・。
○暑さの時季には暑さになりきるが良く候
◇日経新聞 2025.7.28(月)朝刊
30.社会面記事より抜粋
▼「日本の夏 蒸し暑さ熱帯級」
日本の真夏の「蒸し暑さ」が一段と厳しくなっている。日本経済新聞が気象データを分析すると、主要都市の湿度が近年急速に高まっていることがわかった。海の温暖化で、記録的な量の水蒸気が列島に流れ込んでいるためだ。東京の湿度は熱帯性気候のタイ・バンコクをも上回る。今夏も酷暑が見込まれ、高まる熱中症リスクから身を守る対策が欠かせない。
(中略)
「海の温暖化が影響している」
(中略)
高温になった海は列島に水蒸気をもたらす。気温上昇で空気に含むことができる水蒸気量が増えていっても、それを上回るスピードで大量の水蒸気が流れ込んでいる。これが湿度を大きく押し上げる要因となっている。
さらに水蒸気は熱を閉じ込める「温室効果」の性質を持つ。増加すれば、夜間に都市の気温が高いまま維持され、熱がこもった状態が長く続くことになる。
◇月刊科学誌『NEWTON』2025年9月号/「FOCUS」(p.7)より
▼「急激な雲の減少が気温を上昇させた」
太陽光から地球が受ける熱量は過去20年間に渡り年々、上昇していることがわかってきている。1平方メートルあたり0.4ワットであった熱量が現在は0.9ワットに増大している。この要因は雲の量が減少したことだと考えられている。
(引用終わり)
地球温暖化で気温が上がっていけば相対的に湿度は下がっていくかと思いきや、海の温暖化の影響で海水の水蒸気が大量に発生しそれが日本列島に流れ込んで、逆に蒸し暑さが熱帯級に増しているとのこと。「不快指数」も増加傾向。
じゃあ蒸し暑くなってんだったら空気中の水蒸気量が多くて雲もできやすい、雲影の日除けや降雨も期待できるかと思いきや、複雑な気候変動の作用で多くの地域で雲の総量が減っており、日照時間と地表の熱量が年々増大してるってさ! 気のせいじゃなかった、確かに最近日射しの強さが異常だ!
「暑くなる」以外の要素が聞こえてこねぇ!
今年の日本の夏の暑さの主な原因は「2階建て高気圧」「フェーン現象」の発生らしいですが、他にも「湿度の上昇」「雲量の減少」がここ10数年で急激に進行したことも大きな要因となっていると考えられています。
ここに「南米でエルニーニョ発生」「偏西風の蛇行」などの現象が複層的に重なれば、この先は毎年のようにこの暑さが維持されることが十分に予想される。高温化要因が沢山あるから、そのうち幾つかが発現するだけでもう簡単に酷暑に達してしまうという。
更に雲量の減少は日本各地に降水不足による渇水をもたらしており、全国で軒並みダム貯水量の枯渇・生活用水の不安が深刻な問題となっている。水不足の地域には米所も多く含まれるから、今年の新米の収穫量にマイナスの影響は避けられないとの見通しも。今はちょうど出穂(しゅっすい)期、この時期に十分な水を得られないと米粒が育たないという。
かと言って、雲が急激に集まりだしたら線状降水帯になって局地的な集中豪雨を降らせるかもしれず、安易に雨乞いをするのも憚られる。良い具合に雨雲がバラけて各地に適度に雨が降ってくれりゃ言うことないんだけど、そこはコントロールできない部分。今後は降水量の減少も視野に入れて稲作農政を考えていかなければならないのでしょう。
地球温暖化による悪影響は如実に出ているし、それで近年の災害級の暑さもだいぶ説明できちゃうんですが。しかも影響の出方がとても複雑で、幾つかの要因が代わる代わる現れては相互に作用し合って、日本の夏の暑さを高止まりさせている。
タイムマシーンが発明されたら、ちょっと千年前のアジアの夏を見物に行ってみたいですが。どんな感じの暑さなんでしょうね? あと逆に、数百年前の過去の人物を今の日本の夏にちょろっと招待して差し上げたい。どんな感想が出てくるでしょうか? たぶん「なんじゃこりゃあ!」って驚くと思いますけども。あっ、ついでに100年後の未来はどーなってんのかも知りたい。
拝啓、小林一茶さま。ならびに杜荀鶴さま、洞山禅師さま、道元禅師さま、兼好法師さま、快川和尚さま、及び夏の暑さへの対処法を模索してきた全ての歴史人物さま達へ。悪いご報告です、地球全体がもはや恒常的に耐え難い熱波に襲われるようになりました。敬具。
特に日本は、目に見えるくらい全国的にヒートアップしております。最高気温が41℃越えってどんな世界だよ・・。もう個人的な努力で克服できる段階にない、国家規模での取り組みが不可欠。
熱中症予防に関して政府広報を始めとする公共機関の情報周知、気兼ねなく冷房を使ってひんやりグッズを購入できるよう夏期の電気代減額や補助金制度の整備、仕事の操業時間や学校の通学日数の短縮、屋外作業の効率化や他の季節への日程の移動、年配者の家庭の見回りや自治体施設のクーリングシェルターとしての開放。
まぁ大体みんな全国でやってるんですが、地域差とか予算の関係でバラつきが出るのは常のこと。中央政府が音頭を取りながらも各自治体で知恵を持ち寄り、日本全国津々浦々でこの過酷な夏を乗り切る態勢を共有したい。
民間レベルでは出費もかさむし活動時間の制限にも限界はあるんだけど、何とか辛抱して住民・労働者の健康を確保する。何もしないで暑さを我慢するんじゃなくて、暑さを避ける為ならあらゆる努力を厭わない。決して精神論には帰結させない。
ある意味「心頭滅却」の禅語とは正反対の態度なんだけれど、これが現代のスタンダードじゃいッ!! 恐がるべきものを正しく恐がり、怖れを除くために心を尽くす。万が一の恐怖に振り回されている風に見えて、しかし暑気の真の恐ろしさを見据え心を落ち着けて冷静に対処する。臨機応変、新時代の「心頭滅却」である。
国レベルでも個人レベルでも、やることやったら後はもう朱夏が通り過ぎるのを待つばかり。暑さの中にあって暑さになりきり、無理のない範囲で夏らしさを満喫しましょう。
夏定番の料理とか旬の夏野菜はよく出来てるもんで、程よく深部体温を下げたり消化を助けたりといった薬効を発揮するものが多いです。あんまり冷たいもの摂り過ぎると胃腸を弱めるけど。怪談話とかも良いですね、涼しい室内でわざわざ恐怖を煽る作品を堪能して、心胆を寒からしめるのもまた乙なもの。
あとは単純に、涼しげなものとか寒いもの冷たいものを見聞きするってのも心理的に涼をとる一策。氷をじいっと見つめてみたり、風鈴の音や鈴虫の鳴き声に耳を澄ませてみたり・・。視覚的聴覚的に冷んやり爽快なものを感受するだけでも、心持ち涼しげに感じまさァ。
一面の雪景色を眺めてみたり、氷河が海に崩れ落ちる様を目撃するなんてのも良さそう。実物を目にしなくてもいいんです、テレビや動画でそんな映像を視聴するだけでも、人間の脳は勝手に反応して仮想体感を拵えてくれますから。ネットが発達しメディア環境が整った現在、探せばすぐに氷雪の世界を舞台とする作品は見つかりましょう。
○漫画『ヴィンランド・サガ』、ついに完結・・ッ!!
◇漫画公式サイト
月刊「アフタヌーン」25年7月発売号の掲載分をもって、20年にわたる連載に幕が下ろされた。ううっ、ずっと追いかけて読んできた作品の終幕に立ち会えて、嬉しいやら寂しいやら複雑な気分・・・。
最終回は第220話ですか、その220話分であの重厚長大な物語が紡がれてきたと思うとそれはそれで不思議。思えば遠くへ来たもんだ。作中でも二十数年の歳月や数千キロの船旅を経て綿密に描かれてきた、人間と人類の遠大な旅路。
面白い航跡を辿った漫画でもありました。青年漫画の主人公が激戦を潜り抜けながら強くなっていくのはよくある話だけど、しかし途中からその強さを悔いて必死に手放していく。復讐のみが目的の狂戦士から自分が犯した罪の重さに苦しむ卑小な存在へ。更にそこから出発して自分の身体一つで大地に根を張って生き、人間の悪業を憎み平和と共生の楽土を目指す本当の戦士へと。
物語後半でも相変わらず争乱に巻き込まれて、苦渋の選択を迫られたり撤退を余儀なくされたりと苦悩する主人公のトルフィンですが。それでもどんな危険な状況にあっても武器を取らず、対話することで他者と理解し合い利害を調整し、共に生きる道を辛抱強く模索していく。
道中の物騒な戦乱シーンや様々な気づきを得る哲学的な場面を多く経てきて、最終回はむしろあっさりと穏やかに迎えました。主人公たちの入植の試みは失敗に終わり、偉大な達成にはついに至れずにひとまず退却の途につく一行。
世の戦乱と人の不平等を嫌って新大陸に渡った開拓団は、しかしそこでも先住民との間に確執が生じてやむなく戦争が起こり、双方に犠牲者を出して最終的には痛み分けに終わった。両者の和解と共存を実現する橋は何度も築かれかけながら、結果として内外の恐怖心と猜疑心でその橋脚は脆くも崩れ去った。
ただ、その一度の交渉の失敗がその後の全ての交流を途絶えさせるわけではない。いったん距離を置いて心を落ち着かせ、折衝が失敗した原因を一つ一つ冷静に割り出し、機を見て再び相手とのやり取りに乗り出す。
交渉と交流を重ねているうちに自他の理解が進み、それぞれの文化や考え方にも慣れ、自分が求めている事と相手が期待している事との間に妥協点が見出せるかもしれない。一番破壊的なコミュニケーションは戦争と断絶、それを死にもの狂いで回避しながら粘り強く対話を試みていく。
これは遥か過去の遠い遠い地での史実に基づく昔話でありながら、その目指すところは千年を超えて今にも続く果てしない人間同士の営みである。
欧州人の新大陸への移動ということなら、トルフィン達の時代から400年以上後のコロンブスの到達、欧州勢力の南米大陸への武力進出や北米先住民との軋轢、奴隷制度と大西洋を挟んだ巨大な貿易経済圏、アメリカ合衆国の成立と南米諸国の独立、などなど。
トルフィン一行の旅路以降も、大西洋両岸には多くの戦闘・占領・疫病・迫害・差別の黒い歴史が積み重なっていくことになる。それは人の移動がもたらした、人と人との間に生じてきた負の歴史。その積み重ねの上に今の世界の姿がある。
それでも人は出会うことを止めない、そこに何らかの良いものがあるはずだと、僅かでも信じてみることを止めない。もしかしたら今回も失敗に終わるかもしれない、自分と相手の心身に傷を増やすだけかもしれない。そんな恐れとも戦いながら、何度でも平和と共生の国作りに挑み続ける。
千年前にトルフィンたち開拓船団が直面していた課題、食糧の問題とか武器の扱い、仲間内での土地の配分や仕事と収穫の割り振り、また見知らぬ他者との出会いと対等の交流といった議論の種は、実は千年後の現在においても健在だ。これら人類の活動にまつわる諸課題は、人間の本質を問う永遠不滅の課題でもあります。
ちなみに、主人公トルフィンの千年航路に関わりが深い北極圏の島々の現在の様子を見てみると・・。
アレ? 雪と氷の国々の景観で涼しくなるかと思いきや、なんか余計に暑くなってくるぞ・・・?
◇時事ドットコム
「2025年7月現在も続くアイスランド南西部での火山噴火について」
アイスランドの南西部、首都レイキャビクからも遠くないレイキャネス半島で7月に火山が噴火した。「火と氷の国アイスランド」として氷雪とともに有名な火山活動。その地熱を利用した温泉や火山氷山観光ツアーも人気のこの国で、しかし同じレイキャネス半島で2021年から断続的に大きな噴火が続いているという。
ここ800年ほどは活動がなかった火山がにわかに活性化し、度重なる噴火に周辺住人の集団避難も行われた。アイスランドでは他にも活発に活動する火山帯が複数存在し、過去には噴煙でヨーロッパの航空網に支障を与えた例もある。レイキャネス半島の火山活動は今後数百年間続く可能性があり、近傍への渡航や観光に際して厳重な注意が払われている。
いやぁ、見てるだけで熱くなってくる・・・。
◇NHK Eテレ『サイエンスZERO』
「先住民と探れ! 気候変動の最前線 北極圏」
(初回放送:2025年5月)
◇NHK BS『フロンティア』
「科学者×先住民 北極圏の真実」
(初回放送:25年8月2日/再放送は、たぶんそのうちやんだろう。下の番組公式サイトではかなり詳しく放送内容のテキスト・写真が掲載されてます。↓)
日本の科学研究チームとグリーンランド住人との協力調査で探る、世界に先駆けて進行する北極圏の気温上昇・温暖化の実態。地球上の他の地域と比べて北極圏は約4倍の早さで温暖化が進み、深刻なスピードで氷河が消失しているという。
その変化を現地での長年の生活からつぶさに見てきたグリーンランド先住民イヌイットの経験知を借り、日本の研究チームは地球温暖化の詳細に切り込んでいく。
日本から見て地球の反対側の出来事、と呑気に構えてもいられない。地球温暖化の進展と北極圏の氷の融解は、世界中の大雨・洪水の増加や、日本においても暖冬の大雪という異常気象の一因となっているという。北極圏が温暖な年は北部の偏西風が蛇行して、日本に冷たい空気が流れ込みやすくなると。
世界有数の氷河を擁するグリーンランドで起こった変化は現在進行形で他の地域でも起こっていることであり、北極圏での氷の融解・水の流出が全地球上の海水の組成や生態系にどう影響していくかを評価する重要な調査である。
トルフィンの出生地であるアイスランド、その生涯をかけて目指すことになるヴィンランド(カナダ東部・北米大陸北東部)、それらを結ぶ航路の大事な中継地であるグリーンランド。主要登場キャラの船乗りレイフ、船員ギョロ、グズリーズらの出身地でもあります。
北極南極を除いては世界の氷雪地域の代表格たるこの2島で、現在はむしろホットな話題が持ち上がっているようだ。ホットというか、人類にとって致命的な熱さ・暑さが端的に現れてしまっている難問の話なんですけどね。片や火山噴火、片や地球温暖化の先駆け・・。
まさかアイスランドとグリーンランドを見渡して、こんなに熱・暑を感じる時代が来ようとは・・・。
○アニメ『ゴールデンカムイ』、ついに最終章へ・・ッ!!
◇『ゴールデンカムイ』最終章 26年1月に放送予定
来年初めのテレビアニメ版最終章スタートに合わせ、その前章となる「札幌ビール工場編」が期間限定で10月から上映!
最終局面に向けヒートアップする金塊争奪戦、そして流れ出す大量の麦汁、激戦の最中やむを得ず呑んだくれる男達・・ッ!!
◇劇場先行版『ゴールデンカムイ 札幌ビール工場編』
前編を10月10日から、後編を10月31日からの2編に分けて劇場公開!
劇場版主題歌は Awich×ALI『黄金の彼方』。Awich(エ-ウィッチ)さんは『ゴールデンカムイ』初参加、ALI(アリ)は『NEVER SAY GOODBYE』がある。最後の肉体美からの「パァン!」が至高の逸品↓。
舞台が北海道とか樺太でバリバリの氷雪地帯なのに、冬の厳しさや雪中の山河の描写もふんだんに盛り込まれているにも関わらず、なぜかそんなに寒くは感じない漫画・・?
バトルシーンが熱過ぎるのか、はたまたキャラクターたちのムンムンの熱量が高過ぎるのか? あと、ちゃんとみんな寒冷地に適応して分厚い服装・装備をしてるからかも?
寒い地域では寒さになりきるが良く候う・・。「寒さになりきる」って、たぶん意地になって薄着でやせ我慢することじゃなくて、寒さに相応しい格好をしてその地の気候に順応することだと思います。
でもその寒冷地で、この7月に30℃台後半の猛暑記録を連発したから非常に困ってるってェ話で御座いまして・・。エアコン設置の作業員の不足とか積雪地域でのちょっと特殊な工程とかで、急遽暑さ対策してるけど手が回りきれてないって。北海道が暑いってのはもう隔世の感がある・・。
○アニメ『羅小黒戦記(ロシャオヘイせんき)』、続編映画日本公開ッ・・!!
あんまり暑さ涼しさ関係ないけどまぁいいや、心の中の静けさ涼やかさの話に強引に持っていこう!
◇劇場版『羅小黒戦記2 ぼくらが望む未来』
11月7日(金)より全国公開
オヤ、上映形態が「日本語吹替版」と「日本語字幕版」の2種類ある。
第1作は日本の声優さんが声を吹き込んだ吹替版で観たから、そっちのイメージが出来上がってますけど。中国語のオリジナル音声を残した字幕版も観てみたい・・。
◇「羅小黒戦記」日本版公式サイト
あっ、あと日本未公開のWEBアニメの日本語吹替企画が進行してるって。11月の劇場版第2弾の公開に合わせて、このWEBアニメや映画第1作のテレビ放送も組まれるかもしれない。
作品の発端となったWEBアニメ版は映画版とは全く違ったテイストらしいんだけど、シナリオだけは語学誌『月刊 聴く中国語』でちょいちょい読んでましてね。さてどんな風に画が動くのやら?
(※ 2020年12月号から講座連載開始、現在は終了)
◇『聴く中国語』発刊元 愛言社
記事「羅小黒戦記2 中国で公開」
11月にもなれば、さすがに暑さも収まっていることでしょう。秋以降も人気作品の最終章や続編や新規映像化やらが目白押し。おちおち死んでもいられねぇ・・ッ!
それまでは生き延びるんだ、「大好きな作品を観る」という鼻先にぶら下げたニンジンに精神を集中させて、せめてそこまでは生き延びるんだ・・ッ!!
今週半ばの8月7日(木)は今年の立秋。秋が小さ過ぎて立っても見つけられなそうだけど、暦は着実に前に進んでいる。7月までは夕方7時を過ぎてもぺかーっと西日が明るかったが、そろそろ6時半頃には日が沈むようになってきた。夜の気配が段々と早く。
この週半ばからは低気圧前線が列島の上にさしかかり、南からは台風の芽がぽこぽこと発生して接近しているようだ。特に立秋7日(木)と今週末の3連休(9/土・10/日・11/月)は、今のところ本州・四国・九州で雨との予報。まとまった雨が久しぶりに広範囲に降るかな? それはまだ分かりませんが、取水制限がかかっている地域には恵みの雨となるかも。
時たまの天気の気まぐれで炎暑を誤魔化しごまかし、積極的に冷房を使ってこまめに水分塩分補給し、食事を工夫して良い睡眠をとる。この8月9月をなんとか乗り切れば、生存への活路は拓けよう。
殺られはせんぞ、夏の暑さごときに、やられはせん・・。今秋の映光、この俺の底意地。殺らせはせん、やらせはせん、やらせはせんぞオオォォーーーッ!!









