“ amazarashi =a” とする。イ『チ。』✕a=『1.0』 ∴ よって “ a=1 ” | 高校日本史テーマ別人物伝 時々amayadori

高校日本史テーマ別人物伝 時々amayadori

高校日本史レベルの人物を少し詳しく紹介する。なるべく入試にメインで出なさそうな人を中心に。誰もが知る有名人物は、誰もが知っているので省く。 たまに「amazarashiの歌詞、私考」を挟む。


○「アマザラシの定理」



 “ amazarashi =a ” とする。

 イ『チ。』✕ a =『1.0』、

  よって「a=1」


 ここで “ ANATA = A ” とする。

 “ 少なくとも A =1 ” と措定した時、「a=1」、「A =1」で同値。


∴ よって「 a= A =1」

 〈僕にとってあなたは1です〉

 が成り立つ。




 別名「ロスボツアの原理」。


 2022年に新しく発見された、ライブ演奏実験空間における基本定理。特定の手順(セトリ順)を踏みこの定理を用いると、同空間内すべての座標(座席)でラクリマル崩壊(涙腺崩壊)を起こす現象が確認されている。

 これは歌唱認識を空間的に共有することで原点S(singer) と任意の点L(listener) との間に共振同期が起こり、静点Lが内部に秘めていた吐き出したくない感情を疑似歌唱衝動として顕在意識上についつい吐き出してしまう出力作用に基因するものと考えられる。




 とまあ与太話はこれくらいにしておいて、2022年「ロストボーイズツアー」完走、おめでとうございます!

 ライブには参戦できませんでしたが、実際に行けた人のSNS上の感想などを見るに皆『1.0』の歌唱とそれまでの演出でことごとく滂沱滂沱と泣いちゃってたようですね。どんなんだったのでしょう?

 amazarashi 公式からセットリストも公表されており、「Skream! マガジン」からはライブレポート記事も提供されています。今はこれらを読んでどんな様子だったのかを想像するばかり。


公式発表「ロスボツアー

 セットリスト公開!」


「Skream! マガジン」ライブレポート 2023年1月号掲載 


 ( ※ 「1月号掲載」ってことは1月に店舗配布の「Skream!」冊子版にも載ってるかな? ならゲットしに行かなくちゃ。)



 以前の記事でこの『1.0』歌詞中の一節について、


〈もうここで死んだっていいって

 心底思える夜とか、

 報われた日の朝とか 〉


「嬉しいことがあったり誰かと心を通わせられた、あるいは何事かに一心不乱に打ち込めたりして満ち足りた状態」


とプラスの意味に捉えた。

 〈もうここで死んだっていいって〉というフレーズが非常に繊細なものであるし、命を繋ぎ止める “ 大切なもの ” が見つかりますように、と祈るように呼びかける声が前向きな意味付けを求めているようにも感じたので、この解釈で大筋は合っているんじゃないかと思う。

 ただ一方、マイナスの剣呑な意味の余地も無理に取り除かなくてもいいのかな、とも思うようになった。それは歌人・錦見映理子(にしきみえりこ)のこの歌を知ったからである。


「いま死んでもいいと思える

 夜ありて

 異常に白き終電に乗る 」


 ・・錦見映理子

 歌集『ガーデニア・ガーデン』



 『短歌のガチャポン』穂村弘(小学館)より、錦見歌への穂村弘の評(p40、41):


 「いま死んでもいいと思える夜」とは、いったいどんな夜だろう。幸福の頂点に達した夜か。それとも絶望のどん底に落ちた夜か。いずれにしても、〈私〉の身に特別な何かがあったのだ。その実感が「異常に白き終電」という不思議な表現からびりびり伝わってくる。

 確かに、日本の「終電」の車内は深夜にしては妙に明るい。でも、ここではそれ以上の非現実的な白さが感受されている。「いま死んでもいい」という思いを秘めた〈私〉の脳から、何か特殊な麻薬物質が分泌されているんじゃないか。それが「終電」に異次元の白さを与えたのだ。人生に一度か二度、そんな夜が誰にも訪れるのかもしれない。



 プラスの意味でもマイナスの意味でも、あるいはその混在であっても、そこに何らかの振り切れた異様な高ぶりがあったのだ。『1.0』においても〈報われた日の朝とか〉の畳み掛けによってプラスの方に振れるが、その直前の夜には生と死が併存する危うく鋭い心持ちがあったのかもしれない。今はそんな風に受け取っています。



○〈繋ぎ止める為のものだった

 この世界へと 〉


 さて先日、いつものようにお寺さんの境内を何をするでもなくブラブラと歩いておりましたら、掲示板にこんな広報ポスターがあるのを見つけました↓。



 何の気なしに泣いちゃいそうな文面なんですが? 取り分けお堅いイメージがある法務省が、こんなウェットな広報活動を展開しているとは・・・。 


〈友達も学校も

 家族も社会も 恋人も

 世界との繋がりが煩わしかった

 僕らを縛り付けていた

 無数の糸は 

 繋ぎ止める為のものだった 

 この世界へと 〉


 “ 社会を明るくする運動 ” は法務省が運営する更生保護制度への社会の理解と協力を促す広報活動。毎年更新で第72回というから、戦後間もない時期から続く息の長い活動である。

 一般向け広報用ゆえの綺麗事が書かれているようでもあり。しかし犯罪に手を染めてしまった若年者の多くがそれ以前から何らかの事情によって生きづらさを感じて社会との接点を失っていた、という事情への配慮とそこからのやり直しを模索する上で。これくらいの温かみと前途の広がりを感じさせる指標が必要となるのだろう。



○〈あなたにとっての1が

 見つかりますように ✕2〉


 またある日、茫然と立ち尽くしながらぼんやりとテレビを見ていると、こんな番組がやっていました。


⇒ NHKスペシャル

「キラキラムチュー

 ~発達障害と生きる~」 


 12/3(土)放送 NHK総合


 発達障害は「先天的な脳機能の偏りにより発達にアンバランスさが生じ、日常生活に支障をきたす状態」と定義される。(精神科医の杉山登志郎はこれを「発達の凸凹(でこぼこ)」と表現。)


 12月半ばの大手新聞各紙に、発達障害が認められる児童・学生に関する学校教育現場の調査報告が掲載された。この20年ほどで発達障害への世間の認知度は高まってきたものの、当事者である児童生徒への具体的な支援体制が十分には確立していないという現状がある。

 現場の人手・予算も不足して支援の実施にも各自治体でバラつきがあり、必要なサポートを受けられない家庭では家族の内輪の中で困り事を抱え込まざるをえない状況も見られる。


 そこでNHK総合やEテレでは発達障害の特性とサポートのあり方を啓発し、情報不足で孤立しがちな家庭が地域の支援に繋がる一助にもなるようにと発達障害やその他の児童心理・福祉に関しての様々なプログラムを提供してきた。そのシリーズ中の一つが上記番組である。


 発達障害の子どもを持つ保護者の「将来、子どもは社会に出て生活できるのか?」との悩みに対し、番組は一つの見方を提起する。子どもたちの成長に必要なもの、生きづらさをラクにするものとして、“ 好きなもの ” が重要な鍵になるのではないかと。


 番組に登場した2人の研究者、「横浜市総合リハビリテーションセンター精神科医:岩佐光章」と「信州大学医学部教授:本田秀夫」は発達障害(自閉スペクトラム症)のある子どもたち170人を20年間にわたり追跡調査し、今年その成果を発表した。その中で社会参加や自立生活を促進し交流の輪を広げた要因として注目したのが、“ 好きなもの ” ・ “ 余暇活動(好きな趣味をやること)” との関わりであった。



◇以下番組内発言、一部要約抜粋


本田秀夫:

「余暇活動を楽しむということと社会参加をある程度果たせているということは、関連があるのかな、とは思っています。苦手なことを克服することよりも、好きなことを思う存分楽しむこと、余暇活動に力を入れることこそが、発達障害の人たちの最も重要な要素になりうるんじゃないかなと思っています。」


ナレーション:

「好きになるものは、あくまで本人が興味を持つもの。周りの人の価値観は関係ないと言います。」


本田秀夫:

「でもとにかく、自分の心が満たされるように楽しめていれば、何でもありなんですよね。」


ある保護者:

「 “ 好きなこと ” だけでいいの?」という心配、葛藤。


本田秀夫:

「メンタルヘルスが不調になっている人とか、生活がつらいと感じている方というのが、実は楽しみにできることが少なくなっちゃっている方が多いですよね。

 親が嫌なことでも頑張らせたいとか、逆に、好きなことだけどあんまり役に立たなそうなことはやめさせたいとか、変な外圧がかかることによって(子どもの心が)ゆがむので。好きなことに熱中する機会を持つということがかなり鍵になる。」





 ちなみに本田先生はNHK Eテレなどでよく見かけることもあり、著書も拝読しております。


『学校の中の発達障害』

 本田秀夫 SB新書 



『学校の中の発達障害』より


・p201、

 “ 居場所が「ベースキャンプ」になるように ”

 私は、特別支援教育では「居場所」という発想を持つことが大切だと考えています。


・p203、

 特別な場が子どもにとってのベースキャンプのようになり、そこで安心してのびのびと学習しながら、チャレンジできそうなことがあれば外に出て経験を積んでくる、というスタイルで学べるようになるのです。

 私はそのように、本人にもっとも合っている環境を「居場所」としながら、3つのステージ(=支援教育の3つの枠組み)を自由に行き来できるようにすることが重要だと考えています。



 上記は学校制度の中での支援教育の枠組みの話であるが、その外にも安心して居られる「居場所」をいくつか持っていることの大切さは常に説かれるところである。

 その居場所が人とやり取りするスキルの向上や社会的成長にもプラスになるという点に関して、「東京学芸大学大学院教授:藤野博」は家庭・学校での環境に加えてポイントとなるのは「第3の場所=サードプレイス」だと指摘する。



◇『キラキラムチュー』内


藤野博:

「家庭が第1の場所、それから学校が第2の場所、それに次ぐ第3の場所とされています。

 力を抜いてリラックスして、自分が自分のありのままで過ごせる場所ということが重要だと思うんですね。」



 その子がその子自身でありのままに居られる場所、それをサポートしてくれる周りの人たち。おおらかに接してくれる大人や興味関心を共有できる仲間たちがいるなら、なお良し。そこが心安らげる場所となると同時に “ 好きなもの ” を介して家族以外の他者との交流を促し、社会参加への緩やかな階段ともなるのだ。

 そんな場所との接点もまた “ 好き ” が繋いでくれる。


 もちろん、“ 好きなもの ” があれば即座に万事が解決するわけではない。

 例え夢中になれる趣味や抜きん出た特技があっても、年齢が上がるにつれ顕れてくる自分と周囲との違い、学習内容の難化、将来の展望など、課題はどんどん出てくる。憂慮の種は尽きない。

 だが、その荒波に呑み込まれずになんとか泳ぎ続けられる心身の活力もまた、“ 好きなもの ” から取り出すことができるのである。


 できれば “ 好きなもの ” を様々なジャンルからいくつも、それが叶わずともせめて一つの大事な “ 夢中になれるもの ” を。それがあることの大切さがようやく認められてきた現在、児童生徒の困り事をサポートする体制を整えると同時に子どもの “ 好き ” を尊重できる社会認識のあり様もまた育んでいきたい。


 番組に出演し取材を受けた、計算など数字に強い興味がある少年の言葉が印象に残る。



「やってれば時間も無限に過ぎるし、いいことしかない。大好き。数字はねぇ、やっぱいいよ。自分の心にともる炎みたいな。」




〈希望と呼べる微かなもの〉

〈嵐でも折れない旗の様に

 絶対的に誇れるものが〉

〈「どうにかなるさ」

 って言える

 あなたにとっての1が


 見つかりますように

 見つかりますように 〉



○悲報その①


 さてここまで何となく良い感じのことを言ってきたような気もするので、ここらでそろそろお耳に入れなければならない痛ましい話をしていきましょうか。

 まずは悪い報せの中でも軽い方からお届けしましょう。


「世界人口、とうとう80億人を突破・・・ッ!」


 2022年11月半ば、かねてより恐れていた事態が出来した。何てこった!

 発展途上国の人口爆発とか食料供給・医療体制の不備とか未曾有の時代に突入したとか、深刻になるポイントはいくつもあるんですが。


 だが amazarashi の曲においても一つの懸案事項が存在するのである・・・!


◇ amazarashi『アノミー』・・

〈68億の罪も許してよ

 アノミー、アノミー 〉



 そう、歌詞中の数値「68億」がけっこう前の世界人口なのである・・・!

 amazarashi 秋田ひろむが作詞時に参照したのがたぶん2009~10年頃の当時としては最新データなのだから仕方ないのだが、しかし時事ネタは風化する。


 これまでもカラオケで歌う際などに「でももう73億人になってるんだよな~」とか、「最近78億までいっちゃったらしいし・・」とか時を経るごとに数字が隔絶していって。そのたんびに喉に刺さった小トゲがだんだん大きくなっていくような感覚を味わっていたのだが、まさかこんなに早く80億人の大台に達するとは。無念・・!


 でもめげずにこれからも歌っていきますよ~! いっそ86億人までいったら〈86億の罪も抱いてよ、〉でちょっと語感が近くなるかもしれない・・・?



○悲報その②


 むしろこちらが本題ですよ。


「『ヨクト』、最小単位から陥落・・・ッ!」


◇ amazarashi『ヨクト』・・

〈ヨクトは散々失った

 人としての最小単位だ 〉


『ヨクト』歌詞 歌ネット 


⇒ 拙記事『ヨクト』 



 これも奇しくも2022年11月半ば、単位の世界共通ルールを定めている国際度量衡委員会において、桁数を表す国際単位系の接頭語について大きい数では2つ、小さい数にも2つ、合わせて4種類が正式に追加されたのである!


日経新聞 関連記事 


(以下内容は「日経新聞 2022年8/14付朝刊 サイエンス面記事」を参照した。)

 接頭語とは「メートル(m)」「グラム(g)」などの基本単位と併せて用いる、「キロ(k)」「ミリ(m)」や「ギガ(G)」「ナノ(n)」などの大きさ小ささの桁数を表す呼称。

 例えば「キロ(k)」は「1km=1000m」で「1000=10の3乗」の大きさを表す。


 1991年に大「ゼタ < ヨタ」、小「ゼプト > ヨクト」が制定されてから実に31年ぶりの追加である。背景には科学技術の長足の進歩があり、コンピューターの世界では処理能力が飛躍的に伸びてそれを表記するのにより大きな数を、また微小世界の研究開発では超微細な重量や時間などを表す必要が出てきた。


 この極大・極小の数を表記する要請から、今回の追加では従来のものの先に大「ロナ < クエタ」、小「ロント > クエクト」と2段階の接頭語を新設。「ロナ=10の27乗」「クエタ=10の30乗」、「ロント=10のマイナス27乗」「クエクト=10のマイナス30乗」となる。


 ちなみにこれまでの最小単位はくだんの「ヨクト=10のマイナス24乗」であり、この下に更に極小の表し方が2つ設定されたことになる。なんか不朽の世界記録が2回立て続けに更新されちゃった、みたいな妙な感慨を覚えますが。


 であればこそ、amazarashi『ヨクト』にとって最大の危難となるのである。「ヨクト、最小単位から陥落・・・ッ!」 何てこったい! 

 無念、無念にござる・・・!


 以前の拙記事でも考察してますが、『ヨクト』の歌意とは「生きていく上で必要なものを散々失ってきた人でも、最後の最後に振り絞れるわずかな力があるはずだ」との一縷の希望だと受け取っている。

 切り刻まれて粉々になって、それでも残されている己の生き方の最終決定権。それを気づかせる歌だと。


 だがしかしっ! 


 えっ、そこから更に細かくなっちゃうんですか? すり潰されて粉微塵になって、もう滅尽する寸前にまで小さくされた、より過酷な苦しみを抱える人々の姿を想定しなければいけないのかと。

 孤絶し存在を認知されず、人間扱いすらされずに、統計上の困窮者にすらカウントされない人々。それら全てに光を当てるのに、一体どれほどの光量が必要なのか?


 その暗がりに光を当てる役割を担えるのもまた歌の力だと思うのですが、そこんところどうでしょうか amazarashi 秋田ひろむさん?

 ここは一丁、新曲『クエクト』をよろしくっ・・!

(『クエタ』でもいいですよ~!)



○最後なけなしの朗報、1個だけ


 ファンクラブ特典のロゴマークピンバッジとライブ写真のデジタルコンテンツ、無ー事ーにー、とーどーきーまーしーたーよー~~!


 ・・・以上であります。


 えっ、そんな個人的なことじゃなくて、もっとなんかあんだろって? いえいえ、今はこれが精一杯。


 いやもう一つ、あるにはあるんですが・・・。まだ願望・妄想の段階ですが、このアニメ化に何か絡んでくれないかな~、なんて思っています。



『地獄楽』(連載「ジャンプ+」)

 2023年4月にアニメ化

 制作:MAPPA 

 企画:ツインエンジン

 音楽:出羽良彰


 まだ主題歌アーティストは公表されていないけれど、音楽担当が amazarashi の音楽プロデュースを手がける出羽良彰さんということで、何か妙な期待を抱いてしまう。

 制作/企画(製作)会社もアニメ『どろろ』(前期 ED『さよならごっこ』)と同じ組み合わせで変に胸騒ぎがしてきますが。でも先に期待を高めておいて後からやっぱ違ったとなると、不必要にガッカリさせちゃうしアニメ作品にも失礼になると思うので、この妄想は今のところ胸に秘めておきましょう。(って、ここで思い切り言っちゃってるけど。)




 さて年末出演「COUNTDOWN JAPAN 22/23」の演奏も無事やり通したそうで、なんとか安心して年の瀬を迎えられましたね。セットリストを拝見するに時間的にギッチギチでどこが余裕のあるセッティングだぁと思ってしまったものですが、それもクリアできたみたいですね。

 青森はもう雪がガンガン積もっているでしょうか? 雪掻き雪下ろしでまた体力的に削られる感じになっているかもしれませんが、お体を御大事になさって下さい。



 ところで話は変わりますが、年が変わった瞬間に見た初夢で変なもんが出てきましてね。


 めでたい富士山を見られたのは良いんですが、それがなぜかいきなり二つ目の夢で。続いてアルファベット「a」の字体だけが飛び出してきまして、そんでこれまたおかしな事に、「反抗的な鑿(のみ)」ってぇやたら人間臭い大工道具のイメージが浮かんできたんですよ。そのaと鑿が命もないのに殺しあっててね、珍妙奇天烈ったらねぇんですよぅ。

 しかもこの三つとも、一つ目が無くて全部二つ目の夢らしいんで。こりゃあ一体どういう意味なんですかね? 


 俗に縁起が良いのは「一富士二鷹三茄子」って言いますが、これじゃ「二富士二a二反のみ」じゃねえかってね。

 ん? 「2/22(にふじ)ニーアにアンチノミー」? そういう風に読むんですかい? しかも「a」は「automata(オ-トマタ)=機械人形」と「amazarashi」にも掛かってる、と。へぇ~・・・。


 ・・なんのこっちゃ?


 ふんふん、BS11で1月7日(土)24:00(1/8 日、0:00~)から始まるアニメ『NieR:Automata Ver1.1a』でED主題歌を amazarashi が担当、その名も新曲『アンチノミー(二律背反)』?

 そいでもって1月15日(日)にその新曲を先行配信、更には2月22日にCDリリースが予定されてるって? へへっ、たとえ夢でも嬉しい話じゃあござんせんか!


 それにOP主題歌の方はAimer(エメ)さん? そりゃ2018年にamazarashi とツーマンライブアジアツアーを敢行した御方じゃありませんか、なんと奇遇な。

「Sony Music」ニュース 



 でも待って下さいよ、主題歌ってアニメ放送初回の時には流れたり流れなかったりするんじゃないですかい? こんな感じで。


パターン1:初回第1話でOP主題歌・ED主題歌ともに流れる。

パターン2:最後の方でOP主題歌だけ流れて、2話目で両方とも。

パターン3:両方とも流れず2話目でお披露目。


 ははーん、2話目で流そうってぇ魂胆(ハラ)だから、『アンチノミー』先行配信が第2話放送直後の 1/15(日)になってるってぇ寸法なんですね? えっ、そんなのまだ分からないって? そりゃそうか。


 確か、同じBS11で放映したアニメ『どろろ』はパターン1でしたね。

 そういや『ニーア』と同曜日同時間枠(BS11)でやってた『86 -エイティシックス- 』じゃパターン2で、amazarashi『境界線』が第1話の最後に流れて、翌週第2話放送後に楽曲先行配信とミュージックビデオ公開が同時展開したんでしたっけ。こうなると『アンチノミー』MV発表のタイミングも気になるところ! ・・などと、夢の内に思ひぬ。


 そう、冷静になって考えてみると・・・。BS11のアニメ新番組特集『アニナビ☆イレブン!』でも、『NieR:Automata Ver1.1a』の紹介の時に主題歌情報は入ってなかったじゃないですか。だからきっとこれは、願望妄想を映し出した夢の続きなんだな、そうに違げぇねえや。

 えっ、主題歌発表が後ろにズレたんで編集が間に合わなかったんだろうって? へっ、こちとらそんなご都合主義の甘言には騙されませんぜ!


 それにしてもリアルな夢だな、映像だけじゃなく音声も聞こえてきたよ。



 あっ、他の音に混じってちょっとだけ聴こえる。


 あんちのみ~、あんちのみ~!


 くっ、他の部分はセリフがかぶっちゃって聞き取りづらい・・。でも紛れもなく秋田ひろむの歌唱、まさしくamazarashi の新曲!


 おっと喜び過ぎちゃいけませんよ、これは夢、あくまで夢の話でさぁ。目が醒めたらきっと消えちまうに決まってますぜ。年明け早々こんなに上手く吉事が舞い込むなんてこと、おいそれと有るはずもありませんや・・・。


「主題歌担当」公式発表 


 いけねぇamazake の呑み過ぎかな、こんな幻覚↑まで・・・。


 しっかりしろ、自分!

 (バシッ) 痛てぇ!


 ・・・・・・。


 さあ、正気を取り戻しましたところで。


 明けましておめでとうございます、それでは本年も、よろしくお願いいたします~。


 初日の出の代わりにこちらを。

 ↓ (? これ夕日かな?)