陸軍内 皇道派と統制派皇道(こうどう)派は荒木貞夫・真崎甚三郎(まさきじんさぶろう)らが率いる陸軍内の派閥で、彼等の急進的な国家改造案に共鳴した青年将校層の支持を得た。統制派は皇道派に反発して中堅幕僚層が形成した派閥で、中心人物の一人永田鉄山が相沢事件で倒れた後も東条英機(ひでき)・石原完爾(かんじ)らが勢力を広げ皇道派を圧迫していく。両者は激しく対立したが、相沢事件・二二六事件で皇道派は危険分子と見なされ勢力を失い、主導権を握った統制派が以後の国家総動員体制を確立していく。