○前の記事でこんなん書きましたが・・
◇「amazarashi の歌詞、私考」『加賀百万石!』
6月上旬に石川県金沢市で開かれる音楽フェスに amazarashi が出演する、という報とともに。そのイベント名「百万石音楽祭」って、江戸時代にこの地を治めた加賀藩の偉称「加賀百万石」にあやかったものだよねと。
フェス期間はちょうど、同じ週末に金沢市で催される「金沢百万石まつり」の日程とリンクする。お堅めの祭礼・儀式から華やかな行列など、とにかく金沢市・石川県をあげての盛大なイベントなのである。百万石という近世最大規模の藩領を有した加賀藩、を長年治めた前田家。幾度も災害に遭った石川県を盛り上げようという気運とともに、今年は特に戦国~江戸期の加賀前田家を取り上げる動きも活発になっているようです。
⑦「百万石音楽祭2026 ~ミリオンロックフェスティバル~」
6/6(土)~6/7(日)の2日間、石川県産業展示館にて開催
◇「金沢百万石まつり」令和8年日程(6/5~6/7)
◇東京国立博物館
特別展「百万石!加賀前田家」
(前田育徳会 創立百周年記念)
会期:4/14(火)~6/7(日)
東京国立博物館(上野公園)平成館にて開催
戦国末に前田利家が興し、徳川幕府の世にあって加賀・能登・越中の百万石を有した大大名前田家。金沢を本拠に最大の大名領であり文化地域でもあった加賀藩は、利家の北陸入りから数えて290年余にわたりこの地を治め続けた。代々の藩主は文化人として有名で収集品も多い。
明治の御一新の後、前田家は版籍奉還・廃藩置県を経て加賀藩主の座を降り東京で侯爵の地位を得るが、近代においても家伝来の文化財の保全に努めた。16代当主の利為(としなり)はその保全活動のため1926年に財団を設立し、それが現在の前田育徳会につながる。
この育徳会の創立百周年を記念して企画されたこちらの特別展、それはもう今年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』に便乗している気配が濃厚である! いや、別に悪いことではないんですが。
その証拠に、大河で前田利家とまつの夫婦を演じる大東駿介(だいとうしゅんすけ)さんと菅井友香(すがいゆうか)さんが同展の広報アンバサダーに就任している。自ら家計管理や兵糧の計算を行ったという利家所用の日本最古級のそろばんや、まつが刺繍したと伝わる利家の陣羽織なども展示予定。大東さんと菅井さんは、金沢や能登などゆかりの地に足を運んだという。
やっぱ大河ドラマの反響は大きいですやね、それに合わせて関連イベント・企画展をぶち上げるのはPRの王道! むしろこのチャンスに乗り遅れてなるものかと。
特別展「百万石!加賀前田家」もまことに時宜を得た開催、所蔵管理団体の百周年も重なるしでココしかないと会期を周到に合わせてきたのだろう。ヨッ、算盤大名!(←別に揶揄ではない)
それにつけても私、ちょいと早まったことをしましたね。amazarashi が今こそ石川県を盛り上げようってぇ音楽フェスに参加すると聞いて、つい嬉しくてイベント名と開催地にまつわるウンチクを傾けてしまいましたが。
よくよく考えてみれば、amazarashi と加賀藩・前田家との接点なんてまったく無ェやなと。テーマも「amazarashiの歌詞、私考」にカテゴライズしましたが、内容はほとんど加賀前田家の戦国末~江戸初期の解説に終始しちゃったし・・。
ヘッヘッヘ、まぁいいか、そんなに深く考えんでも。別に amazarashi と戦国・江戸期の大名家に何の縁もゆかりも無かろうとも、一期一会の音楽祭に出演するからには幾ばくかの土地とのえにしも生まれようというもので。例えそこに何らの接点も見出せざるとも、百万分の一くらいは袖触れ合うも他生の縁的な✕✕が生じているとか、いないとか・・・。
・・えっ、amazarashi、大阪城行くの・・? おやおやおや、そうなると話は違ってきますですよ・・?
④ 4/28(火)大阪城ホール開催
「FM802 MASSIVE BEATS OSAKA 2026」amazarashi 出演予定!
大阪城(大坂城)といえばアレですよ、太閤秀吉が築いた、豊臣氏のまさに牙城でヤスよ? 当然、政権のNo.2であり秀吉の右腕とも目された前田利家は、ちょいちょい上洛して大坂城入りしたはず。
え~とナニナニ、1582年本能寺の変で信長が討たれた後、後継者争いに勝利した秀吉が83年に石山本願寺跡地に創建したのが大坂城。以降、この城を本拠に天下一統を成し遂げ諸大名の頂点に君臨した。栄華を誇った豊臣政権の居城であり、その旭日の残光は1615年の大坂夏の陣での落城まで続く・・。
秀吉が大坂城を築き始めた83年は、ちょうど前田利家が柴田勝家の下から離反して豊臣方についた時期。この功績により利家は元の能登の本領を安堵され、更に加賀の地を加増されて金沢に入った。これが近世加賀藩百万石の基となる。
利家は豊臣政権の重鎮として秀吉の天下統一に貢献し着実に信頼を得、五大老の筆頭に位置して他の大名の牽制や仲裁、秀吉への仲介に尽力。98年に秀吉が亡くなると、幼い秀頼を補佐して台頭する徳川家康との仲を取り持とうとした。翌99年に利家自身も亡くなっちゃって、関ヶ原の開戦には関与できなかったんだけどね。そんな急転する政治劇の舞台となったのが大坂城である。
amazarashi の大阪城ホールでのライブが4月末、石川県でのライブ出演が6月上旬。大坂城から1ヶ月ちょっとかけて北陸へ、この行程は奇しくも戦国末・江戸初に利家やその子利長の加賀前田家が辿った任国への下りルートと重なる。行軍スピードもこんなもんだったでしょう。
果たしてこれは、偶然の一致なのだろうか・・? ウム、偶然の一致であるな! たまたまです。まさか数百年前の大名家と現代のロックバンド、その行跡にこれ以上の符合などあろうはずもなく・・。
でも念のため、2026年半ばまでの amazarashi のライブスケジュールを並べてみましょう。万が一の事があってもいけませんから・・・。
⑧ 7/17(金)東京ガーデンシアター
キタニタツヤ主催 対バン企画
「TATSUYA KITANI Presents “ Hugs Vol.6 ”」
会場は東京ガーデンシアター(江東区)、東京のど真ん中とそんなには離れてない・・。東京といえばアレですよ、江戸城(現皇居:往時は千代田区ほぼ全域)がありましてですね。江戸城といえば、全国から参勤交代のため諸大名が上京してくる江戸幕府の中枢。当然、北陸から加賀前田家も大名行列で往復してたよと。
豊臣政権で重きをなした前田家も、秀吉と利家が相次いで亡くなった後、野心と勢力を増す徳川にどう対するかで紛糾する。利家の後を継いだ利長はさっそく家康に因縁をつけられ、あわや軍勢を率いて攻め込まれそうになる。そこで方針を決し、利長の実母まつ(芳春院)を人質に差し出すという最大限の恭意を示して徳川方に帰順した。
前田家は関ヶ原の戦いにも東軍として参戦、北陸戦線を維持する。豊臣政権の重鎮である前田家が徳川方に帰順して東軍に与したこと自体も情勢を大いに揺さぶり、利長の決断は家康の天下取りに大きく寄与した。
ために加賀前田家は外様ながら百万石の大大名となり、藩は北陸の封地の他にも参勤交代や江戸詰めのため江戸に広大な所領を与えられた。現東京の本郷(文京区)に本屋敷(上屋敷)、駒込(豊島区)に中屋敷、板橋(板橋区)に下屋敷を構え、これら藩邸用の土地群(計約20万坪以上)もやはり最大規模である。だから東京をぶらぶら歩いてれば、どこかしらで加賀藩の旧大名屋敷地に当たるかも、と。
そういえば、歴代の加賀藩主前田家が登城したであろう江戸城の北側には、現在は日本武道館がある。東には東京駅。amazarashi の銘記すべき武道館ライブ(2018年「朗読演奏実験空間 新言語秩序」)では、多くのファンが全国から旧江戸城を目指してゾロゾロゾロと参集した。
も一つついでに、加賀藩の江戸所領は先述の3か所だけじゃなくて、細かい用地とか蔵屋敷とかも江戸市中に散在していた。かつて一時期東京に居住し自らの音楽を追いかけていた amazarashi 秋田ひろむ、都内を移動するうち、知らず知らず加賀藩ゆかりの旧跡とか遺構の近くを通っていたかもしれない。
ヨシッ、合致クリアー!!
次、行ってみようッ!!
(↑主旨を見失い始めている、というか初めから主旨なんか無かったんじゃないか?と冷静に思わないでもない。)
◇「amazarashi ASIA TOUR 2026
生活の果てに音楽が鳴る ~ Music bears Life ~」
② 4/18(土)韓国ソウル・OLYMPIC HALL
③ 4/24(金)台湾台北・Zepp New Taipei
⑤ 5/28(木)東京・Zepp Haneda
⑥ 6/3(水)東京・SGC HALL ARIAKE
(*中国〔上海/北京〕公演は未定)
これはアレですよ、あんまり良い符合にならなそう。と言うか、日本外交史においてハッキリ負の記憶に入れられる苦い戦役がありました。
1590年(前後)に天下統一を果たした秀吉は、この頃から海外征服の無謀な夢を追うようになる。92年から98年にかけて朝鮮に出兵し、一時は朝鮮半島をほぼ占領するほど深く侵攻する。しかし朝鮮義勇軍の頑強な抵抗と明(中国)からの援軍で劣勢に追い込まれ、後半は常に苦しい戦局が続く。
秀吉の死で遠征は中止されるが、日本側に多数の戦死者を出し、また朝鮮側にも甚大な被害者・損害を与えたこの「文禄・慶長の役」は日韓の交流史において負の遺産として記憶されている。
その後政権が徳川に移り、長い時間をかけて日朝関係は修復され、朝鮮通信使に代表される文化交流や窓口貿易などが江戸時代を通じて行われてきた。
さて少し時を戻しまして、朝鮮出兵のさなか。利家や家康は諸大名を代表して海外遠征など以ての外と諫止したが、前のめりな秀吉はその声を振り切って派兵を決定する。肥前国名護屋に出征基地を構え、全国から戦力を集めて次々に朝鮮半島へと送っていった。
前田利家もこの地に駐留したが、自身は海は渡らず、主に軍需物資の輸送や外交交渉に携わる。前田家はそんなには損害を被らなかったが、大がかりな遠征の失敗は兵の被害と莫大な出費となって諸大名の不満を高めた。これが豊臣政権の寿命を縮めることになる。(ちなみに『豊臣兄弟!』主人公で秀吉弟の秀長は、出兵が始まる前年に死去。この事が秀吉の暴走を止められなかった一因であると考えられている。)
で、その秀吉の対外政策の一環で、同じ頃に高山国(こうざんこく=台湾、日本側の呼称)にも入貢(朝貢)を求める使者を豊臣政権は送っておりまして。
でも当時の台湾にはまだ統一政体が確立されておらず、交渉相手が不明ということで沙汰止みになったという事情がありました。その後、台湾には欧州勢力が出張ってきて中国明・清の王朝交代劇も絡む戦乱時代に突入するんだけど、それはまた別のお話。
日韓関係においては古代倭国が朝鮮半島に進出したこと、鎌倉期の文永・弘安の役や室町期の応永の外寇、戦国末の文禄・慶長の役で朝鮮勢力と日本の軍勢が交戦したこと、また近代の日本帝国の半島進出で日本敗戦まで韓国を植民地としたこと。負の記憶を辿れば次々に浮かんできますが。
台湾にしても、日本統治時代の光と影、大戦後の政治的空白を突いて中国国民党が大陸から渡り政権を打ち立てたこと、その後の中国本土との緊張関係など、日本に言いたいことは山ほどあるだろう歴史の中の軋轢は確かに存在する。
それでも、現代の前向きな双方の外交努力と文化的交流を重ねてきたことで、戦前のそれとは比べ物にならないほどに日韓関係・日台関係は良好になっていると思います。
それに、今はホラ、東アジアを取り巻く世界情勢が急速に緊迫感を増してるじゃないですか。日・韓・台は歴史認識や貿易を巡って時に反目し合ったり疎遠になったりはするけど、日本から見れば一番近い海外が韓国・台湾なわけで。米・中・露(・朝)の思惑や出方がまったく読めなくなってる現在、それら大国に挟まれた形の小国同士という点では、日韓台は緊密に連携するパートナーシップを築ける相手となり得るだろう。
一定の軍事力は保有してるけど、それぞれの理由から単独防衛上そんなには当てにならないという点でも共通する3者。経済力・技術力と文化度が高く、近しい風土や価値観、好みを共有してもいる。
過去の負の側面の克服は、今後の歴史認識の健全な議論と、若い世代の将来的な文化交流にかかっている。その東アジア文化の架け橋となれるよう、行ってらっしゃい amazarashi!
ヨシッ、クリアー!
そして最後に残ったのは、直近の来週開催にして、こんな最大の難問であった・・・。
① 4/4(土)Kアリーナ横浜 CENTRAL STAGE に amazarashi 登壇!
4/3~4/5 に横浜の街全体で開催される新しい都市型フェス「CENTRAL MUSIC & ENTERTAINMENT FESTIVAL 2026」にて
amazarashi の2026年ライブ活動の始発点にして、もう来週末に迫ってるこちらの都市型イベント!
横浜で開催、“横浜” には加賀前田家にこじつけられそうな歴史事項が思い浮かばない・・ッ! ここに名前が同じってだけで横浜流星を持ってくるわけにもいかず・・ッ!!
横浜だから、加賀藩とはちょっと接点が見当たらない他所様の土地。参勤交代ルートも、北陸⇔江戸間を行き来する加賀藩の大名行列は横浜を通りはしなかったろう。基本的には中山道→板橋→江戸、横浜村の近くを通ったらエライ遠回り。
ぬうっ、ここに来て、全く加賀前田家と縁遠そうな地でライブしよってからに・・。(←別に amazarashi が悪い訳ではない)
「加賀前田家 横浜」でネット検索しても何もヒットせん、どうしよう・・。
待てよ、試しに「加賀前田家 神奈川県」で調べてみようか・・・。
◇鎌倉市公式サイト 鎌倉文学館
オオッ! き、奇跡か・・!
加賀前田家の当主が建てた別邸が鎌倉にあって、現在は鎌倉文学館として運営されているらしい・・。
だいぶ苦しいけど、共通点発見・・ッ! 同じ神奈川県内だし、いいよね・・?
さぁ牽強付会の扉を開き、取って付けたようなミスリードを捏造しましょうかねェ!
なんでもこの建物は、近代に入って建てられた西洋建築であると。御一新と廃藩置県でご多分に漏れず加賀藩も領地を返納(という名の没収)し、東京に移住して華族となり侯爵位を賜った。その近代に続いた第16代当主・利為(としなり)が1936年に別邸として鎌倉に建築し、鎌倉三大洋館の一つに数えられる堂々とした風格を持つ。
大戦後には所有者を変え、佐藤栄作首相の別荘として使われたことも。三島由紀夫の小説『豊穣の海』第1巻『春の雪』の一場面に登場する建物のモデルとしても知られる。昭和末に鎌倉市の所有となり鎌倉にゆかりある文学者の資料を収める文学館として生まれ変わり、でも現在はリニューアルを目指して休館中、だそうである。
アラ、そういや前田利為さんって一番上にも出てきましたね。1926年に加賀前田家ゆかりの文物と収蔵品の保存・調査のため財団を設立し、現在の前田育徳会の前身を立ち上げた人物です。もちろん加賀・石川県とは縁が深いし、東京から鎌倉に向かうのに横浜を経由したことも一度や二度ではないでしょう。
これで繋がったッ! 別にむりくり繋げたからってまったく意味はないんだけれど! 今年半ばに amazarashi が赴く所には、必ず加賀前田家の影がチラつくのでありますッ!! だからどうしたッ!?
・・いったん落ち着きましょう。
それにしても、始動したと思ったら忙しそうね amazarashi。4月上旬のこの横浜公演を皮切りに、4月中はみっちり、5月にちょっと間が空くけど月末からまた慌ただしくなって、アジアツアーだ対バンだと何だかんだで7月までみちみちぃとライブスケジュールが詰まってる。夏以降の予定はこれから発表でしょう。
北陸の加賀前田家も、雪の多い地域の領主を長く務めたことで積雪の苦労と恐ろしさは誰よりも身に染みて理解していたはず。でもその雪深い土地に、金沢を中心に工芸・美術・学問で栄える奥深い加賀文化圏を花開かせた。それにあやかって、行く先々で音楽の花を咲かせて回れ amazarashiッ! 雪が融けて、日本全国に春が来たよと!
・・何を書いてるんだ、私は・・?







