毎年、バレンタインはお世話になってる病院の先生にチョコレートを持って行くんだけど。

 

この前かわった先生は「規則なので」って受け取らなかった。

 

今はなにからバッシングされるかわからないから、気持ちはわかるかも。

 

ま、でも、受け取ってもらえなかった包みを自分で持って帰るってのは、失恋とかじゃなくてもなかなか寂しいものだなと思いながらの帰り道。

 

ドラッグストアに寄った。

 

うちは父も病弱だから、マスクあったら喜ぶだろうな、ないだろうけどあったらラッキー、くらいの気持ちで。

 

でもやっぱりなくて、仕方ないから部屋に置き型のウイルス除去の薬を、ちょっと高いなと思ったけど、もうこれは安心料だと思って、割り切って買うことにしたの。

 

普段から目薬買ったり頭痛薬買ったりでその都度丁寧に説明してくれる、なんとなく顔なじみっぽくなってる薬剤師さんが申し訳なさそうにしてたけど、

 

お店の人は悪くないしねぇ、、、って。悪くないのに怒られて大変ですよねぇって言っといた。

 

うちは病弱な人とか子どもとかお年寄りとか、たまたま普通より気をつけなきゃいけない人ばっかりかたまってるだけで、

 

不安なのは健康体の人もみんな一緒ですよね、って。

 

また来ます、って帰ろうとしたら、ちょっと待って!って引き留められて、レジ奥の棚からちいさな袋を取り出してきて、、、

 

よく見たら、、、マスクの試供品?

 

これ、試供品だからすぐなくなっちゃうけど、どうぞ。って差し出してくれたの。

 

・・・・なんていうか、こんなありがたいことってあるんだなって。

 

一瞬ぼーっとしちゃったよね。

 

で、「ほんとに?ありがとうございます!助かります!」って勢いよくお辞儀すると、リュックの中のチョコレートの箱がゴソッって音を立てた。

 

それで思わず、「あのぅ、、、知らない人からもらうのイヤかもしれないけど。よかったらこのチョコレートもらってくれませんか。なんてことない市販品なんで」って言ったら、

 

「え、私に!?どうしてですか?」って薬剤師さんびっくりしてる 笑

 

そりゃそうだよなと思って、「あげようと思ってた人に受け取ってもらえなくて、自分で持って帰るのもなんかむなしいな~と思ってたとこなんですよ」って補足情報入れといた。

 

「試供品だって在庫限られてるんでしょ?あげなくても文句言われないものを、私のために出してきてくれた、その気持ちが嬉しかった^^私のも、ほんの気持ちです」って。

 

薬剤師さん、にっこりして「そうですか、そういうことならありがたくいただきます^^」って(´∀`)

 

家に帰って父にその話をしたら、「オマエすごいな。俺だったらチョコレート受け取ってもらえなかったなんて絶対言えない」ってぼそっと言われた 笑

 

あーーーー、たしかに言われてみるとなかなかなこと言ったよねぇ~って(´▽`;)アハハ

 

たぶん薬剤師さんは私のこと、失恋して気の毒な人と思ってるけど、それでもべつにいい気がしてる。

ネットで古本買ったら、知らない街の、、、ラーメン屋さんのかな。

 

半券が挟まってた。

 

ほう、煮干しラーメンですか。

 

私にとってはあんまり馴染みがないんだけど、美味しいですか?

 

ラーメンライスが好きですか、仲間ですね。

 

なーんて。

 

同じ本に興味を持って、同じようにラーメンが好きで、ライスまでしっかり注文する。

 

きっと前の持ち主さんは、いい友達になれる人。

友達から聞いた話。

 

子どもたちを集めて、「正義と悪について」っていうテーマで話し合いをしたんだって。

 

そしたらものの一時間もしないうちに「悪の反対は正義じゃなくて話し合いだと思う」って結論を、子どもたち自身で導き出したんだって。

 

それを聞いてほんと感動というか、人間ってある段階で敵意とか不信感とか植え付けられるだけで、

 

生まれた瞬間から戦うことを好むような生き物ではないんだなって。

 

しみじみと嬉しかったのよ。

 

「もっと理論武装して、反論してくる人を論破できるようになりなさい」みたいなことを勧められたことがあるんだけどさ。

 

そういうのって、上で書いた子どもたちが導き出した、

 

「悪の対極であるところの話し合い」から一番遠い対応のような気がするんだよね。

 

ぴしゃっと強い言葉ではねつけると、ものをわかってる力を持った人に見えるのかもしれないけど、

 

でもそういうのって私がなりたいものではないな。

 

悪の反対は話し合いなら、

 

じゃぁ悪ってどんなんだろうとか、悪は滅ぼすべきものなんだろうかとか、悪が悪に染まった背景にはどんなことがあっただろうかとか、

 

まだ頭のやわらかい子どもたちはもちろん、大人も一緒に考えてみたら楽しいかも。

 

こういう話ができる相手が一人でも二人でも増えてくれることを、私は密かに待ってるんだよね。

前も言ったかな。

 

お千代が生まれてからいろいろ写真とか動画とか撮ったけど、特にお気に入りのがあるんだ。

 

いろいろリスクがあるから載せられないけど、うちの両親とお千代が映ってる動画でね。

 

基本的に無愛想な父がいつになくゴキゲンで、膝にお千代を乗せて、炭坑節を歌いながら二人で手遊びをしてる。

 

お千代が母にも踊ってって言うから、母も仕方なく照れ臭そうに踊ってる。

 

そういう動画。

 

それを見ながら私は、夜中に独りで泣くの。

 

この前じいちゃんが死んで、そのうち両親の番が来て、私の番もいずれ来る。

 

順番がどうなるかはわからないけど、人形劇みたいにずっとこのままではいられないことだけははっきりしてる。

 

普通に順番が来たとして、両親が居なくなってから、私はこの動画をどう見るのかなって思う。

 

お千代がすっかり大きくなった未来。

 

シャイで真面目な両親が孫可愛さに仕方なく踊ってる動画を、静かな夜に独りで見るところを想像する。

 

もう会えない両親が笑ってる動画を見て、私はやっぱり泣くだろう。

 

今もこの動画は宝物だけど、その頃にはきっと、もっと大事なものになってる予定。

心がさっぱりと片付いたから言うんだけど。

 

一年くらい前だったか、友達と派手にケンカして、そのまま連絡取らなくなってたんだ。

 

ずっと、あんなケンカ別れみたいなことは、いい大人はすべきじゃなかったなって。

 

思い出すと、ちょっと心がざわつくような感じだった。

 

で、先日、その人の誕生日だったから、ちらっとお祝いをしたんだけど、返事はなかったな。

 

私、そうなるまでは、返事がなかったらすごく悲しいんだろうなと思ってたんだけど、

 

蓋を開けてみるとすごく爽やかで、なんかこう、完結したなって。

 

胸のつかえがすとんと落ちたような気持ちになったんだ。

 

声かけようか、ギリギリまですごく迷ったんだけど、ちゃんとお祝いできてよかったよ。

 

もし誕生日忘れたフリしてやり過ごしてたら、こんな清々しい気持ちにはなれなかったと思う。

 

今のご時世、話しかけられたくない人に話しかけたらストーカーとか言われることもあるから、やっぱり注意は必要だと思うけどね。

 

いろいろあっても、私は最後まで人間関係を大事にする人間なんだ、って。

 

そういう自分への信頼感って大事だと思うの。

 

相手がその関係を大事にするかどうかっていうのは、私にはあんまり関係ないというか。

 

最後まで大事にしたからこそ、安心して手放せる。

 

もう話すことはないと思うけど、その友達が優しい人たちに囲まれて楽しく暮らしたらいいなって。

 

そう思えることがとても嬉しい。