外来魚駆除対策ってどうなん?・・・ちょこっとブログ これおかしないか?編
ちは、ばくしんです。
今年も初釣りの季節がやってきました。
バクシン的初釣りは琵琶湖の漁港等で小バスを釣るという
スタイルで行います。
ゆるい釣りですが…まぁ、新年早々辛い釣りは・・・と言うのと、
大勢のお仲間でワイワイ楽しむのが趣旨の遊びです。
その時にたまに目にしてしまう事を今日は書こうと思います。
ん~これってどうなん?
子供に対する外来魚駆除教育。
色々書く前にあった事をそのまんま書きます。
漁港で楽しそうに小バスやギル釣りを楽しむ小学生くらいの子供達。
ワイワイ楽しそうに釣りを競う風景は見ていて微笑ましく、
釣れていなさそうな時などはこんな生業な自分ですので
たまに話しかけて自分の作った漁港用のルアーを
「これ使ってみ、もっとたくさん釣れるで」
などとコミュニケーションを取ったりする事がしばしばあります。
しかし、釣りを楽しんだ後のその光景にかなり引く事になります。
魚を釣った子供達が「無感情」にバス駆除用の箱に魚を投げ入れて行くのです。
これってホンマおかしいと思うねんな…。
釣りに遊んでいるのか、駆除目的で来ているのかは知らないが・・・
子供が普通に遊びで釣りにきていると考えるのが普通やと思います。
その後のあまりにも思う事無くゴミ箱的なものや駆除用のいけすに
生きた魚を投げ込んだりしている。
このご時世なので学校等で外来魚に付いて学んだり注意事項等があるのは
当たり前の事だと思う。もちろん、環境論は大切な教育の一つだとも思う。
しかし、地元の事で慣れているからなのかもしれないが・・・
遊んでもらった相手をあまりにも考える事無く捨てて殺してしまう。
おそらく「居てはいけない魚だから」と習っているのだろう。
自分はバス保護、共存派なのでこう思うだけかもしれないがこうも思うのです。
「遊んでくれた相手をよくもあんなものに放り込めるな」と。
駆除の箱はもう水が張られていないので魚は即死です。
いけすの方は回収がくるまでは生きてはいますがある意味「収容所」です。
どちらも魚の先の運命は「死」が待ち受けている訳です。
その間の「生殺の葛藤」のない光景はあまりにも気持ちが悪いのです。
自分を例に挙げると・・・
生き物をやむを得ず殺してしまう時はあります。
釣りをしていれば必ずある光景です。その時に思う事、「ごめんなさい」
無益な殺生をしてしまう事になって申し訳ない。そう思います。
そして、毎回その言葉を口にするか心の中で唱えます。
また、食用ならば食べて供養ではありませんが、我が身の一部になるので
(その命)「いただきます」といって口に入れることになります。
少し、話が自分の事になりましたが話を戻します。
釣られた魚がある程度まとまった数になるまで足下に転がしている子供達。
そこには「かわいそう」と言う態度や表情はありません。
ん~、どう見ても魚達苦しんでいるのは小学生くらいなら解るはずです。
これって上の事全部まとめて「外来種で駆除するから殺して当然」なのか?
「命に対する尊厳」や遊んでくれた相手に対する「感謝の気持ち」ってないのか?
人間の都合で殺してしまう為に「ごめんなさい」の気持ちはないのか?
子供の残虐性と言うのはある程度あると思うし自分にもあった。
自分も無益なほどにザリガニや昆虫、小動物をたくさん殺してきた。
でも、それが無益と解れば解るほど反省と謝罪の気持ちが重くのしかかってくる。
そして、その気持ちとの葛藤の末に命の大切さと無益な殺生を禁じる気持ちが生まれた。
これはキレイな言い方かもしれないが自然に生きるものの実践教育だと思う。
うちの親も無益な殺生をして!!と強く自分を怒ったものだった。
自分が言いたいのは外来種駆除を教育の一環としてやるのは大いに結構だと思う。
しかし、その後、生殺を決める時の葛藤を教育や話し合いをしているのだろうか?
そして、その生殺の選択の末に正しい環境変化が起こっているのかと言う事も。
この事を無視してただ外来種駆除をしましょうと言う教育にはなっていないか?
あまりにも無表情すぎる子供達を見て不安を覚えたりしたのです。
こんな事を思う自分が少し不安に思う事。
こう言う釣りだけをして育った子供がまた大人になって教育をする。
「お父さんやお母さんは外来種を殺してきたから・・・」だけになってしまったら?
自分の判断で「居てはいけないものを微妙な判断で殺してしまわないだろうか?」
と思ってしまったりするのです。拡大解釈すれば弱い立場のものやいじめられている子
をも必要以上にいじめてしまったりしてしまわないか?等と思ったりしています。
結論として、「外来種駆除は国や自治体が責任もってやってくれ」と言う事。
それを釣り人や子供達に押し付ける条例や法律はおかしいと思うのです。
もし、自分に子供が出来たらきっとこう教えます。
「その生き物に対して命への尊敬と感謝の気持ちを持て」と。
そして、駆除対象をやむを得なく対峙した時には
「自分の判断で決めなさい」と。
遊んでくれた事に対する感謝ももちろん説いた上で駆除する事は
生き物を自分の判断で「死」を与えることを認識させます。
この葛藤は絶対に必要だと思います。
必要以上の殺生は自分も子供達にも望みません。
税金で対策費出ているなら是非、行政で管理して欲しいと思うのです。
愛する魚達を魚を愛する人達が殺せ。
これってやっぱりおかしいよ。
どうしても必要じゃない人だけが駆除してくれれば良いだけの話だと思う。
本当に気持ちの悪い世の中になってしまったなと思うのです。
余談ですが…
原発事故の責任を国も電力会社も取らないご時世ですから・・・
人や生き物を殺したり、迷惑かけたりしても平気な世の中になっているのかな?
本当に全ての事に日本人として「誇り高い答え」を導き出したいものです。
今日はこんなところです。
では。
今年も初釣りの季節がやってきました。
バクシン的初釣りは琵琶湖の漁港等で小バスを釣るという
スタイルで行います。
ゆるい釣りですが…まぁ、新年早々辛い釣りは・・・と言うのと、
大勢のお仲間でワイワイ楽しむのが趣旨の遊びです。
その時にたまに目にしてしまう事を今日は書こうと思います。
ん~これってどうなん?
子供に対する外来魚駆除教育。
色々書く前にあった事をそのまんま書きます。
漁港で楽しそうに小バスやギル釣りを楽しむ小学生くらいの子供達。
ワイワイ楽しそうに釣りを競う風景は見ていて微笑ましく、
釣れていなさそうな時などはこんな生業な自分ですので
たまに話しかけて自分の作った漁港用のルアーを
「これ使ってみ、もっとたくさん釣れるで」
などとコミュニケーションを取ったりする事がしばしばあります。
しかし、釣りを楽しんだ後のその光景にかなり引く事になります。
魚を釣った子供達が「無感情」にバス駆除用の箱に魚を投げ入れて行くのです。
これってホンマおかしいと思うねんな…。
釣りに遊んでいるのか、駆除目的で来ているのかは知らないが・・・
子供が普通に遊びで釣りにきていると考えるのが普通やと思います。
その後のあまりにも思う事無くゴミ箱的なものや駆除用のいけすに
生きた魚を投げ込んだりしている。
このご時世なので学校等で外来魚に付いて学んだり注意事項等があるのは
当たり前の事だと思う。もちろん、環境論は大切な教育の一つだとも思う。
しかし、地元の事で慣れているからなのかもしれないが・・・
遊んでもらった相手をあまりにも考える事無く捨てて殺してしまう。
おそらく「居てはいけない魚だから」と習っているのだろう。
自分はバス保護、共存派なのでこう思うだけかもしれないがこうも思うのです。
「遊んでくれた相手をよくもあんなものに放り込めるな」と。
駆除の箱はもう水が張られていないので魚は即死です。
いけすの方は回収がくるまでは生きてはいますがある意味「収容所」です。
どちらも魚の先の運命は「死」が待ち受けている訳です。
その間の「生殺の葛藤」のない光景はあまりにも気持ちが悪いのです。
自分を例に挙げると・・・
生き物をやむを得ず殺してしまう時はあります。
釣りをしていれば必ずある光景です。その時に思う事、「ごめんなさい」
無益な殺生をしてしまう事になって申し訳ない。そう思います。
そして、毎回その言葉を口にするか心の中で唱えます。
また、食用ならば食べて供養ではありませんが、我が身の一部になるので
(その命)「いただきます」といって口に入れることになります。
少し、話が自分の事になりましたが話を戻します。
釣られた魚がある程度まとまった数になるまで足下に転がしている子供達。
そこには「かわいそう」と言う態度や表情はありません。
ん~、どう見ても魚達苦しんでいるのは小学生くらいなら解るはずです。
これって上の事全部まとめて「外来種で駆除するから殺して当然」なのか?
「命に対する尊厳」や遊んでくれた相手に対する「感謝の気持ち」ってないのか?
人間の都合で殺してしまう為に「ごめんなさい」の気持ちはないのか?
子供の残虐性と言うのはある程度あると思うし自分にもあった。
自分も無益なほどにザリガニや昆虫、小動物をたくさん殺してきた。
でも、それが無益と解れば解るほど反省と謝罪の気持ちが重くのしかかってくる。
そして、その気持ちとの葛藤の末に命の大切さと無益な殺生を禁じる気持ちが生まれた。
これはキレイな言い方かもしれないが自然に生きるものの実践教育だと思う。
うちの親も無益な殺生をして!!と強く自分を怒ったものだった。
自分が言いたいのは外来種駆除を教育の一環としてやるのは大いに結構だと思う。
しかし、その後、生殺を決める時の葛藤を教育や話し合いをしているのだろうか?
そして、その生殺の選択の末に正しい環境変化が起こっているのかと言う事も。
この事を無視してただ外来種駆除をしましょうと言う教育にはなっていないか?
あまりにも無表情すぎる子供達を見て不安を覚えたりしたのです。
こんな事を思う自分が少し不安に思う事。
こう言う釣りだけをして育った子供がまた大人になって教育をする。
「お父さんやお母さんは外来種を殺してきたから・・・」だけになってしまったら?
自分の判断で「居てはいけないものを微妙な判断で殺してしまわないだろうか?」
と思ってしまったりするのです。拡大解釈すれば弱い立場のものやいじめられている子
をも必要以上にいじめてしまったりしてしまわないか?等と思ったりしています。
結論として、「外来種駆除は国や自治体が責任もってやってくれ」と言う事。
それを釣り人や子供達に押し付ける条例や法律はおかしいと思うのです。
もし、自分に子供が出来たらきっとこう教えます。
「その生き物に対して命への尊敬と感謝の気持ちを持て」と。
そして、駆除対象をやむを得なく対峙した時には
「自分の判断で決めなさい」と。
遊んでくれた事に対する感謝ももちろん説いた上で駆除する事は
生き物を自分の判断で「死」を与えることを認識させます。
この葛藤は絶対に必要だと思います。
必要以上の殺生は自分も子供達にも望みません。
税金で対策費出ているなら是非、行政で管理して欲しいと思うのです。
愛する魚達を魚を愛する人達が殺せ。
これってやっぱりおかしいよ。
どうしても必要じゃない人だけが駆除してくれれば良いだけの話だと思う。
本当に気持ちの悪い世の中になってしまったなと思うのです。
余談ですが…
原発事故の責任を国も電力会社も取らないご時世ですから・・・
人や生き物を殺したり、迷惑かけたりしても平気な世の中になっているのかな?
本当に全ての事に日本人として「誇り高い答え」を導き出したいものです。
今日はこんなところです。
では。